3つの資本で異なる合理性の役割
──そこで「合理性」が登場するわけですね。
橘:そうです。わたしたちが生きているのは高度化した知識社会で、そこでは、「合理性」がすべてのひとに役立つ普遍的な成功法則になります。合理性とは、「投入した資源(リソース)に対してより多くの利益(リターン)を得ること」と定義できます。100円を投じて100円しか返ってこない取引よりも、同じリスクで110円になる取引を選択した方が合理的ですよね。だとすれば、人生の土台を合理的に設計することが成功への最短距離になるはずです。
前著『幸福の「資本論」』でも書いたのですが、幸福の土台には、「金融資本(資産運用)」「人的資本(働いてお金を稼ぐ能力)」「社会資本(人間関係)」の3つがあると考えています。成功を目指すにはこの3つの資本を大きくしていくことが大切で、それぞれ合理的な戦略が考えられる。
「金融資本」を大きくするには、金融市場に資金を投じて利益を得なければなりませんが、そのためにどうすればいいかは徹底的に研究され、1970年代にファイナンス理論として完成されています。
それに対して、労働市場に個人の労働力を投じることで形成される「人的資本」は、「単位時間当たりの収入が多い方がよい仕事」とは単純にいえません。職業選択には、やりがいや自己実現、社会的評価など、お金以外の要素もたくさんある。とはいえ、収入を度外視すれば「やりがい搾取」の犠牲になってしまいますから、やはり半分程度は合理的な判断が必要です。
「社会資本」は家族や友人との関係や、共同体への帰属意識(アイデンティティ)のことで、わたしたちは自然に、それを「プライスレス」なものとして経済的な合理性とは切り離しています。セックスのあとに3万円の指輪をプレゼントするのは愛情ですが、1万円札を3枚渡すと買春になってしまいます。
では、社会資本にまったく合理性は関係ないかというと、そんなことはありません。人生にはきわめてきびしい「時間資源の制約」があり、誰とつき合い、誰とつき合わないかを選択しなければならないからです。