テーマ探しに難航する中での叱咤激励
しかし、いざ慶応大学の門を叩いたテリー氏を待っていたのが「論文」という壁だった。実は、その時点でパソコンをほとんど扱えなかったのだという。
「まず論文を書くためにパソコンを買うところから始めました(笑)。俺はWindowsのやつを買ったんだけど、大学のパソコンは全部Macだったから使い方の違いに苦労しました。しかも恥ずかしいことに、当時はパワーポイントとパワースポットの違いすらわからなかった。でも、徐々に成長していきましたよ。それまではコラム連載の原稿も紙に書いたものをスタッフにデータ化してもらっていたけど、今はパソコンで書くようになった。(ブラインドタッチ? の問いに)そんなのやらない。打てればいいし、そんな型にハマらなくていいと思ってますよ」
論文のテーマの選び方や書き方にも苦労した。時には「もう辞めてしまおうか」と挫折しかけたこともあったという。
「入学してからずっと、テーマ探しに難航しました。『人間は焚き火などの火を見るとなぜ落ち着くのか』とか『日本人は安楽死を受け入れるのか』など二転三転してしまった。特に安楽死研究は、世界中の数多くの研究者が素晴らしい論文を発表していて、いまさら俺が手を出したところで新たな発見があるものを書ける自信もなかった。その迷走期間は2年半続き“このまま大学院にいてもしんどい、辞めてしまおうか”とも考えました」
そんな悩めるテリー氏を、叱咤激励してくれた人物がいた。
「『大下容子のワイド!スクランブル』(テレビ朝日系)のコメンテーターで慶大で教壇にも立っている若新雄純さんです。彼から“テリーさん、大学院は誰でも入れます。出るのが大変! 絶対にやり遂げて!”と言われた。目が覚めましたねー。俺……甘えてたわって。大学院に通うのは経済的にも大変な負担で、俺はありがたいことにそれを続けられる環境がある。ここで放り出すなんてできないと心を入れ替えました」