大学入試においては、基本、学力が合否を左右するが、スポーツ推薦やAO入試などを設けている大学もあり、多様なバックグラウンドを持つ学生が入学できる。そうしたなかで、一般入試を突破した学生の中には、スポーツ推薦などで入学した学生に対し不公平感を覚える人もいるようだ。元少年院の教官という異色の経歴を持つVTuber「犯罪学教室のかなえ先生」のもとにも、そうした相談が寄せられている。近著『人生がクソゲーだと思ったら読む本』が話題のかなえ先生が回答する。
【お悩み】スポーツ推薦なら頭の悪い人でも高学歴になれるってどうなの?
スポーツ推薦やAO入試に不満を持つ大学生です。親の「文武両道であれ」という教育方針のもと、スポーツでは県大会上位レベルになんとか食い込み、一般入試で難関といわれている私立大学に入学しました。でも入学後、同じ学科にいるスポーツ特待生は温情で教授から単位をもらえており、明らかに勉学を疎かにしています。なのに彼らは、私と同じ学歴になってしまう。それどころか、就活ではあっちの方が有利になりえることに納得できません。
【回答】これはアナタ自身の問題です。過剰な被害者思考によるバグが発生しています
相談者さんは、すごく被害者的な受け止め方をされる方なんだな~と思いました。思わず「それってアナタの感想ですよね?」と言いそうになりましたよ。
ただ、アナタがこの思考に陥ったのは、大変な苦労をされてきたからなのでしょう。ただ、ここで「大変な苦労」といいつつも、「大変な努力」としなかったのは、アナタにとって現状の自分は苦しい過去の上に成り立っているものだと感じたからです。まずは、これまで頑張ってきた自分を、自分自身で認めてあげましょう。
これから話すことはあくまでも私の考えですが、そもそも「努力」と「苦労」は似て非なるものです。努力は結果を出す過程にある、本人の欲求などに基づく内的動機づけによる能動的な行動を指すもの。苦労とは努力と異なり環境的な外的の働きかけなどにより行われる受動的な行動を指すと、私は分けて考えています。
ざっくり言えば、努力は、自分の「そのことをしたい」意思があって行われる行動で、自分自身を大きく成長させてくれるもの。「苦労」は、自分の意思のやりたい/やりたくないことにかかわらず、していることの苦しさを表現しているもので、心身を磨耗していくものだということです。
そのうえで私は、努力をしてきた人は、これまで努力してきた自分や努力している他者の存在をありのままに認めて受け入れることができるのに対し、苦労してきた人は結果が出ると自分を大きく評価する一方で、他者の努力やその存在を軽視する傾向にある気がしています。