ファッションとしてのタトゥーが受け入れられつつある一方で、プールやサウナでは「タトゥーNG」のケースも少なくない。人生経験豊かな1957年生まれの女性セブンの名物ライター“オバ記者”こと野原広子さんが、タトゥーと入れ墨について、これまで出会ってきた人たちの話をもとに振り返る。
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「人のうわさも七十五日」というけれど、令和のいまはもっと早いんだね。ひとしきり話題を集めた広末涼子とキャンドル・ジュン氏だけど、ふたりが離婚して3人の子供の親権は……というあたりで「まぁ、どうでもいいじゃん」となったのは私だけではあるまい。結局、記憶に残ったのはキャンドル・ジュン氏の耳たぶに刺さった(?)動物の角と、ネットで見た氏の上半身たっぷりのタトゥーだけ。
で今回は、海や山やお祭りで目に入ってくる「タトゥー」の話。それにしても、タトゥーほど人によって受け止め方が極端なものもないと思わない? ある人は反射的に目を逸らすし、ある人は目を凝らして見る。で、私はというと目を逸らす方。目に入ると逃げ出したくなる。東京・浅草の三社祭では全身タトゥーにフンドシ姿のお兄さんが威勢のいい姿を見せているけど、私はそれを見たくなくて、一度も近づいたことがないの。
とはいえ、仲よくなった人にタトゥーが入っていることが後からわかることもある。その人は「一生変えたくない決意を自分の体に刻んで強めたかったんだ」と言っていて、そんなもんかといったんは納得する。しかしその一方で、「何があったの?」とその背景を聞きたくて仕方がなくなるんだわ。が、待てよ。タトゥーはタトゥー。いきさつだの背景だのと結びつけて考えるのは失礼ではないか……。
「な、30年もたつと哀れなもんだろ」
そうこう考えていると、懐かしい原風景にさかのぼる。明治25年生まれの祖母の左腕に桜のマークが入っていたのよ。「たいへんよくできました」のスタンプをもっとシンプルにしたようなもので、小学3年生まで祖母の布団で寝ていた私はいやでも目に入る。
「おばあちゃん、それ、どうしたの?」と聞いたら、「若い頃、おどっさま(父親)にいたずらで彫られたんだよ」と言う。祖母の実家は古い農家だけど、父親は農業の合間に彫り物師をしていたというから、その試し彫りだったのだろうか。祖母はこの小さな彫り物を恥じて、晩年、医師の往診を受けるたびにトクホンを貼って隠していた。