夫婦げんかが絶えなくなった末、ついにひさしさんは好子さんに手を上げてしまう。
「家を出た直接のきっかけはDVです。立ち上がれないほどの暴力で、殺されると思ったので逃げました。お互いの壊れ方が頂点に達していたのだと心身ともに痛感しました。やっとの思いで離婚に至りました」
経済的な困窮の中で力を貸してくれた人への感謝
しかし決死の覚悟で別れを選んだ好子さんを待っていたのは、経済的な困窮だった。
「井上さん主宰の劇団の座長をしていたし、離婚しても一定の距離を保って、一緒に仕事も続けられると考えていました。結婚当初の六畳一間から、二人三脚で一緒に上り詰めたという思い上がりがあったのです。でも社会はそうではない。
また、出版社は流行作家のスキャンダルから“作家”という商品を守らなくてはいけない。実際に私が大バッシングを受けて、劇団は辞めざるを得ない状況になりましたし、講演会などもキャンセル。仕事をすべて失いました」
けれど離婚は自分で決断したこと。大変でも歯を食いしばって耐えるしかなかったと好子さんは続ける。
「ただ、離れていった人がいた一方で、当時社会の中で孤立して経済的にも困窮し、大変だったときに力を貸してくれた人もありがたいことに少なからずいました。いまも強く覚えているのは教育委員会の仕事を失ったとき、『じゃあNHKの番組審議委員になったらいいじゃない』と懸け橋を作ってくださった人がいたこと。それがきっかけでその後長いおつきあいになる樹木希林さんや藤村志保さん、湯川れい子さんのような素敵な人たちに出会うことができた。
いま考えると、結婚していたときの仕事は井上さんの人脈に支えられたものがほとんどだったけれど、ひとりになってからできた人間関係は私だけのもの。だから離婚後の人脈は私の宝物ですし、ひとりになって“孤立せず自立する”ことが女性の人生においていかに重要かが身に染みてわかりました」