衣食住で「それなりの生活」が現実に
堀江貴文:緒方さんが言う「カニカマ社会」を私の言葉で言い換えるなら、「身もふたもない社会」だ。「身もふたもない」と言うとポジティブなイメージを抱かないかもしれないが、フラットに考えてみれば、誰もが最低限の幸せを享受できる世界になっていることに気づくだろう。
【食】
まずは「食」について考えてみよう。実は、人間が美味しいと感じる食の方程式はすでに確立している。すなわち、その構成要素は糖質・脂質・アミノ酸であり、それぞれの代表例は砂糖・バター・味の素である。料理の中にこれらを加えれば、大抵、なんだって旨くなる。
考えてみてほしい。味の素が開発される前は、旨いものにありつくのは大変で、みんな不味い料理で満足しなければいけなかった。今では手軽に誰もが当たり前に美味しい料理を食べられる。緒方さんが言う「カニカマ」は一例に過ぎず、トリュフ塩にしろマツタケのお吸い物にせよ、コピー食品によって多くの人の食は豊かになっているのだ。
【衣】
「衣」も同じことが起こっている。ユニクロやZARAに代表されるファストファッションが広まり、ファッションビジネスが根底から変わった。ファストファッションとはいえ、デザインも機能も高度なものが多く、ほとんどの人にとってはファストファッションで十分である。つまり、着るものにお金がかかることがなくなった。
【住】
コロナ禍以降、リモートワークが普及したため、都心に住み続ける理由が減っている。地方に目を向ければ、家賃の安い場所はいくらでも見つかる。
衣食住、それぞれの側面から現代社会を考えてみると、案外どんな人でもそれなりに幸せな生活を送れることがわかっていただけたのではないだろうか。
よかれと思って人の生活に口を出してきたり、アドバイスをしてくる人は「身もふたもなさ」を不幸だととらえている。身の程の幸せであれば、お金の多寡はそれほど関係ない。誰もがネオ(主人公)になることはできずとも、「マトリックス」の世界は誰にとっても、それなりの平等と幸せが約束された場所なのである(ネオのように強い信念を持って、ぬるま湯のような世界から自ら抜け出し、おかゆみたいなものしか食べられない世界に行くのが本当に幸せなのか、疑問を感じるところもある)。
「幸せ」は安くなっている。お金の心配をするよりも、思い切って自分のために行動していったほうがよいと思う。