これらの説が正しいかどうかはともかく、花山天皇は藤原兼家・道兼父子の策謀により、わずか1年10か月で退位させられた。兼家から都合の悪い人物と目されていたことは間違いない。
第5回「告白」のなかで、父兼家からの質問に対し、道長が面白い返答をした場面があった。「帝がどなたであっても関係はない。誰が補佐するかが大事なのでは」と。
これはいみじくも、日本史の根幹に関わることではあるまいか。天皇を補佐する役目はこれ以降、摂政関白から武士へと広がり、天皇から委任された武家政権が後醍醐天皇によるわずかな中断期を除いて、鎌倉・室町から江戸幕府の終焉まで続く。それから薩長閥政治を経て、議会が登場。戦後は完全な民主主義体制のもと、国民すべてが天皇制を支える権利を手にした。天皇制が存続しえた理由のひとつとして、天皇を支える裾野の拡大を挙げてもよいのではなかろうか。
【プロフィール】
島崎晋(しまざき・すすむ)/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。『ざんねんな日本史』、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』など著書多数。近刊に『featuring満州アヘンスクワッド 昔々アヘンでできたクレイジィな国がありました』(共著)、『イッキにわかる!国際情勢 もし世界が193人の学校だったら』などがある。