『ドラゴンボール』は世界80以上の国と地域で愛された
「漫画市場は1980年代に急成長します。1990年のコミック誌の実売部数は4億515万冊で、10年間で約3倍に膨らんでいます。1980年に『Dr.スランプ』、1984年に『ドラゴンボール』の連載を始めた鳥山さんの功績は計り知れません。
1995年には『ドラゴンボール』がアメリカに進出し、現在まで世界80以上の国と地域でアニメとして放送されてきた。日本のアニメが海外市場を開拓できたのも、鳥山さんのおかげと言っていいでしょう。『ドラゴンボール』のコミック累計発行部数は2億6000万部を超えています」(出版関係者)
1983年に長者番付が『所得税の納税額が1000万円以上』の公表に変わって以降も、鳥山さんは毎年名を連ね、1990年代最後の1999年にも2億8488万円を納税。これは同年にファーストアルバム『First Love』を765万枚売り上げた歌手・宇多田ヒカルの2億6564万円を上回る数字だ。
「鳥山さんの作品を読んだり、見たりした子供が漫画家になり、漫画市場をさらに拡大させていった。昭和の頃は、漫画やアニメは子供が見るもの、という価値観もありましたが、今では当たり前のように大人も読むものになった。漫画やアニメの地位を向上させてくれた立役者の一人と言っていいでしょう」(前出・出版関係者)
鳥山さんの訃報に際して『週刊少年ジャンプ』の公式サイトには、人気漫画家のコメントが寄せられた。『NARUTO-ナルト-』の作者・岸本斉史氏は「先生はいつも僕の指針でした。憧れでした。先生にはご迷惑かもしれませんが勝手に感謝しています。僕にとってはまさに救いの神であり、漫画の神様でした」「もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら…すみません…それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生」と惜しんだ。
漫画『ONE PIECE』の作者・尾田栄一郎氏は「漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり漫画ってこんな事もできるんだ世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。突き進むヒーローを見ているようでした」と功績を称えた。
漫画家の地位を向上させた鳥山さんの意思を受け継ぎ、今後も日本から世界を驚かすマンガが生まれていくだろう。