戦場への鉄砲の導入が戦国大名「強弱の格差」を一層広げた
信長が鉄砲の量産化で実現した「戦場のイノベーション」により、戦国大名の中での強弱の格差は一段と広がった。織田信長はもちろん強者の筆頭である。東国に限れば、「信長以外の大名はすべて弱者」と言ってもいいかもしれない。平山前掲書も、〈どうやら織田信長は、武田・北条などの敵国に対し、経済封鎖を行っていたらしい〉〈信長の物資統制が、武田勝頼を苦しめていたことは想像に難くない〉と、硝石や鉛だけでなく、信長には敵の手に戦略物資全般が渡るのを阻止し、決戦前から敵の体力を奪うのに余念がなかった様子をにおわせている。
信長がこのような戦略が取れたのは最大の貿易港と流通の要衝を掌握し、鉄砲の買い占めができるだけの財力があったからである。
上洛後の信長は決断と行動が一段と加速し、生き急ぎの感さえ覚えるほどだったが、流通の要衝はもちろん、その経路まで抑える信長のやり方は正解だった。
信長が「天下布武」のスローガンを掲げたのは上洛前、美濃を制圧した直後のことだが、それから10数年で朝倉・浅井・武田を滅ぼし、「天下布武」どころか、天下統一を視野に捉えた。それを可能にしたのは鉄砲であり、鉄砲を貴重品で終わらせなかった信長の眼力だ。鉄砲を買い占めるための惜しみない投資、鉄砲の威力を最大限活かすべく凝らした工夫の数々、これらすべてが合わさって、信長は天下統一まであと少しのところまで登ることができたのだった。
(シリーズ続く)
【プロフィール】
島崎晋(しまざき・すすむ)/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。『ざんねんな日本史』、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』など著書多数。近著に『呪術の世界史』などがある。
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