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ラジオ局プロデューサーが明かすメディアの裏側

《ラジオ放送開始から100年》ニッポン放送プロデューサーが振り返る「ニコニコ動画」登場のインパクト 「サブカルから推しの連帯まで“ラジオ的”なものを飲み込んでいった」

「ニコニコ動画」がラジオに与えたインパクト

 そして決定的だったのが、「インターネットの台頭」です。

「ウィンドウズ95」のリリースを機にパソコンからインターネットをつないで楽しむ人が増え、1999年にはNTTドコモの「iモード」がサービスを開始して、「着メロ」や「待ち受け(画面)」がブームに。2000年代後半にはスマートフォンの登場によって、ネット上にあるあらゆるコンテンツを気軽に(しかも、その大半が無料で)、誰でも楽しめる世界へと変わりました。

 1990年代に若者カルチャーを担っていたテレビ、ラジオ、雑誌などは、2000年代には完全にインターネットに塗り替えられたといって過言ではないでしょう。

 僕自身、高校生だったのが1997年〜2000年。大学生が2000年〜2004年だったので、当事者として既存の価値観がインターネットによって壊されていくのを体感していました。

 特に僕がニッポン放送に入った2007年に本格始動した「ニコニコ動画」のインパクトはものすごいものがありました。今までは深夜のテレビやラジオ、雑誌などが担っていたサブカルチャーやアンダーグラウンドな雰囲気。まだメジャーではないアーティストやタレントの今でいう「推し」の連帯。そんな“ラジオ的”なものをニコニコ動画が飲み込んでいきました。

 オールナイトニッポンには、「メジャーになる前のアーティストや売れる前のタレントを、いち早くラジオが見つけて世の中に発信する」という独特の文化がありました。たとえば、まだ世の中に見つかっていなかったタモリさんをいち早くオールナイトニッポンで起用し、その後「笑っていいとも!」で国民的な“お昼の顔”になっていったという逸話も残っています。

 しかし、その“才能発掘”の役割もすっかりニコニコ動画に取って替わられてしまった。個人的にも、残念な気持ちに浸ったことを覚えています。

 ただ、よくよく考えてみれば、先に述べたように、かつて若者向けの生放送で才能発掘を担っていた深夜27時からのオールナイトニッポン2部は、2007年の時点ですでにシニア向けの録音放送に方針転換していたのだから、当然の結果だと言えるのかもしれません。

※冨山雄一・著『今、ラジオ全盛期。』(クロスメディア・パブリッシング)より一部抜粋・再構成

■第1回記事:《東日本大震災から14年》ニッポン放送プロデューサーが振り返る「震災発生当日」のラジオ局の緊迫 「いつもの声」がリスナーに届けた「安心」

【プロフィール】
冨山雄一(とみやま・ゆういち)/ニッポン放送「オールナイトニッポン」統括プロデューサー。1982年1月28日生まれ、東京都墨田区出身。法政大学卒業後、2004年NHKに入局、2007年ニッポン放送へ。「オールナイトニッポン」ではディレクターとして岡野昭仁、小栗旬、AKB48、山下健二郎らを担当。イベント部門を経て、2018年4月から「オールナイトニッポン」のプロデューサーを務めている。現在は、コンテンツプロデュースルームのルーム長としてニッポン放送の番組制作を統括している。

愛くるしいラジオリスナーの装画を担当したのは、自身もラジオ好きであるという、アーティスト・長場雄氏

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