少しばかりの野性味が蕎麦好きにはたまらない
これぞ蕎麦という素朴だけど完璧なビジュアル
次なる酒は神亀(埼玉)にした。これも、いいねえ。安定の味わいです。春菊天をぱりぱりと齧りながら神亀の燗をちびりちびり。土曜の昼酒は実に穏やかに進行していく。店へ来るまでに冷えた身体も腹の底のほうから温まって来て、雪なんか、どんどん降ったらいい! くらいの気持ちになっていた。
そろそろ蕎麦を頼むタイミング。私は粗挽きせいろ、Tさんは鴨せいろを注文した。
粗挽きせいろには、まず塩をぱらぱら振って食べてみる。蕎麦のうまみと香りが普通のせいろ蕎麦よりやや濃い感じで、食感も田舎蕎麦ほどゴツゴツしないが、やはり、少しばかりの野性味があって、蕎麦好きにはこたえられない。おつゆの加減も実に繊細、上品、強すぎず、うまさを優先している。もちろん、しつこい甘みはなく、ほんのり甘く、味わい深い。
鴨せいろは、みなさんご存知のとおり、鴨肉と葱の小鍋にせいろ蕎麦を添えた定番。椀の汁にそばをつけつつズルズル啜ればなおさらうまい。塩を振っただけの粗挽きそばは燗酒のつまみになるが、鴨せいろの鴨汁もまた、酒を引き立たせる。神亀くらいがちょうどいいのかもしれない。
この蕎麦の残り汁がさらなる至福へと誘ってくれる
私とTさんは、夢中でそばをたぐり、小さな猪口の酒を味わうたびに、にやにやした。
蕎麦湯がきた。トロトロの真っ白な蕎麦湯ではなく、見た目も、口当たりもさらりとしている。しかし、蕎麦の風味をよく伝える絶品蕎麦湯なのだ。
うまいねえ、と思いながら蕎麦猪口を置くと、眼の前でTさんが、鴨汁の残りを蕎麦猪口へ受けて、そこへ蕎麦湯を足して飲んでいる。私は、鴨汁の椀に残った鴨肉の一片と太い立派なネギを分けていただいた後で、Tさんの蕎麦湯も、少し飲ませてもらった。
鴨の脂、葱の風味、それから蕎麦湯の滋味深い味わいが混然となった魅惑の汁がそこにある。これで、燗酒を飲まなくては嘘だ。よし、もう1本、いってみよう!
ということで、本日の昼酒御免! は、うまみ濃厚なる汁呑みにてお開きといたします。
せっかく行くなら蕎麦前からゆっくり楽しみたい(「蕎麦 坐忘」東京都八王子市千人町3-14-11)
【プロフィール】
大竹聡(おおたけ・さとし)/1963年東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒。出版社、広告会社、編集プロダクション勤務などを経てフリーライターに。酒好きに絶大な人気を誇った伝説のミニコミ誌「酒とつまみ」創刊編集長。『中央線で行く 東京横断ホッピーマラソン』『下町酒場ぶらりぶらり』『愛と追憶のレモンサワー』『五〇年酒場へ行こう』など著書多数。「週刊ポスト」の人気連載「酒でも呑むか」をまとめた『ずぶ六の四季』や、最新刊『酒場とコロナ』が好評発売中。