従来の商法を根底から覆した「多売薄利」の精神
小林氏が阪急百貨店をオープンさせる際、大切にしたのが「多売薄利」の精神だった。他よりも安く売れば、たくさんの客が来るという、従来の商法を根底から覆し、たくさんの客が来る場所に売り場を設ければ、薄利も可能だという考えを編みだした。この「多売薄利」の精神は阪急百貨店開業時の新聞広告に記載されている。
《阪急百貨店 いよいよ四月十五日から開業いたしますがどこよりもよい品物を、どこよりも安く売りたい、と、いふ阪急百貨店の大方針に添ふやうにしたいと思ふと、中々品物が揃はない、頗る貧弱で、不行届で、お恥かしい次第でありますが、然し我々の希望は、気長に、堅実に、立派な店に育てたいと思って居りますので、それにはどうしても皆様方の、御同情と、御指導と、御引立に、よるより外に、途はないのでありますから、開店早々賑々御光栄のほど、伏して御願申上ます》(1929年4月13、14日の両日 大阪朝日新聞)
この文面通り、創業時の売り場の中心には食料品、生活雑貨が並び、当時、他の百貨店で主流だった羽織や帯地といった高級呉服などを排除した。これは「顧客のためにならない不得手なものはやらない」という明確な理由があった。
また小林氏は「どこよりもよい品物をどこよりも安く」という理念を守るため、それにふさわしい納入業者が見つからない場合には自ら製造まで行った。
「洋菓子は大衆にとって高嶺の花でしたが、創意と工夫で大衆の手の届くものにしようと、シュークリームなどの洋菓子や、あんパンなどの和洋折衷菓子を製造する直営工場を設営した」(鹿島教授)