中川淳一郎のビールと仕事がある幸せ

「努力は報われる」という言葉の胡散臭さ

 ここで「おめでとう」とだけ言えばいいのに、中には「今だけだ」「彼はラッキーだった」「彼は大物に取り入るのが上手なだけだ」といった発言がフリーランス同士の会合などで出ることもあります。この時、本人が口にするはあまりないかもしれませんが、心の中では「オレの方がヤツよりも努力しているのになぜだ……」と思っている人もいることでしょう。

 実際はその“うまいことやった人”の方がたくさんの努力を裏でしていたかもしれないのに、ついつい自分の方が圧倒的に努力をしているのになぜこんなに差がついた……と愕然としてしまうのです。そして、以下のような愚痴が出てしまう。

「結局おべっか使えるヤツがうまいことやれるんだよな」
「結局男が優遇されるのよね……」
「結局美人がトクするだけじゃねぇかよ。実権握ってるオヤジが鼻の下伸ばした結果、彼女が指名されたんだろ」

微妙な意味になってしまった「努力」

 こうしてやっかみの対象になった人は、いつしか「努力も何もしていないのに成り上がったヤツ」として凋落するのを今か今かと待たれる存在になってしまうのです。しかし、実際問題として「無駄な努力」ってヤツもあるわけで、だったら「極力努力せずに最大限の成果を得る」という考え方だってアリなのではないでしょうか。

 さんまさんの「辞書からなくせ」を極論と捉える向きもあるとは思いますが、日本では「努力」が妙な意味になってしまっている面もあります。「苦労」「苦行」と同義になっているのです。仮に「彼女は美人だから仕事がもらえた」などとやっかまれたとしましょう。そこにあるのは「生まれつきの美人=苦労知らず」ということになる。その一方で、社長の一代記などで「努力の美談」とされるのはこんなストーリーです(もちろんフィクション)。

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