その人からしか聞けない話があるなら価値はあるけれど、それがないなら、ウィキペディアや食べログなどインターネット上の検索サービスのほうがはるかに役に立つ。あらゆる知識がインターネット上で探せる時代に、「出来の悪いウィキペディア」や「出来損ないの食べログ」を目指しても、その人に未来はありません。平均顔は美人を作りますが、平均知能人間はウィキペディアの劣化コピーにしかなりません。
また、人脈がいくら広くても、インターネットにはかなわないでしょう。
「出会い系」を例に挙げるまでもなく、縁もゆかりもない他人同士がキーワードひとつで直結できるのがインターネットです。「顔の広さ」や「持っている名刺の数」なんて、もう何の価値も生み出しません。ソーシャルメディアの弱い人脈で他人とつながり、そこでエセ社会勉強の成果を披露しているだけの「意識だけ高い系」は、インターネット文化に勝てないのです。
では、意識高くあらゆることに取り組む「真の意識高い系」になっていくにはどう
したらいいのでしょうか。そこで着目すべきは人間とコンピュータの差です。
人間が持っていてコンピュータが持っていないものは何か。
ここでよくある間違った答えは、「根性」「ガッツ」「気合い」といった言葉です。コンピュータは機械だからガッツを出すことはなく、したがって人間のような努力もしないと思われているようですが、そんなことはありません。もちろんコンピュータは「おっしゃ、やったるで!」「根性入れて働きます!」などと気合いを入れたりはしませんが、そんなことをしなくても電気さえあれば延々といくらでも仕事を続けます。同じことをコツコツと積み重ねることを努力と呼ぶなら、この点でも人間はコンピュータにかないません。どんな悪条件のブラック企業に入っても、そこで課せられるハードワークに耐えられるのがコンピュータです。そもそも、人間同士の競争においても、ガッツや気合いは何のアドバンテージにもならないでしょう。ちなみに僕は、よくうちの研究室の学生にこんなことを言います。