さて、こうした状況をウザいと思った若者や、自分の名前で勝負をしている人が最近よく言うのが、「私、名刺使わなくなったんですよ」や「あっ、名刺切れているんです」です。一応もらいはするけど、自分からは渡さない。その心は、「どうせこの人とは今後一生やり取りすることないだろうな。別に直接の窓口の●●さんの連絡先さえ分かっとけばいい」という予測がつくことがまず一つ。そして、すべてのやり取りはフェイスブックでやり取りすればいい、と考えることもあるでしょう。
「私の名前分かりますよね。ともだち申請してくれれば、承認しますんで、必要とあらば、そちらで探してください」という合理的な(?)方法を取っている人もいます。これも理解できるんです。名刺の役割は「これからも連絡を取れるようにする」ことなので、フェイスブックでも十分に連絡は取れる。
名刺は「サラリーマン道」の重用アイテム
しかし、名刺ってものは機能ではなく「サラリーマン道」という柔道・剣道・茶道に並ぶ「形式」や「様式美」が求められる分野において重視されてきたのです。どうせお前、日本人としか仕事しねぇだろ、みたいな人の名刺の裏に、わざわざアルファベットで名前や部署名が書かれていたりする。両面印刷のコスト無駄だろう、と思うこともあるわけで、基本的に名刺なんてものは非合理的な側面も多い。それでも長らく続いてきた文化がIT業界の若者を中心に廃れ始めてきているのは、まぁ、それも時代の流れでしょう。
さて、そんな名刺ですが、最近感じた3つの流れを紹介します。
【1】会社のとは別の名刺を出すのがカッコいい
異業種交流会的な場所で会う人はまず、所属企業の名刺を出します。「ははぁ、あの素敵なビルで働いているのですね!」などと話をしたところで突然、「実は私、こういう名刺もありまして……」と「ライター」や「ブロガー」などと書いた名刺を出してくる。この2枚目の名刺を出す時の彼のドヤ感ったら! ちょっとかわいいな、と思います。また、フリーランスの人が、企業から持たされている名刺を出す時、若干屈辱的な表情を浮かべるんですよね。それを出した後に、「まぁ、本来私はフリーなのですが……」とまたフリーの名刺を出してくる。そこに書かれているメールアドレスが全然違うので、どっちに送ればいいのか分からなくなります。