「ぼくの子供時代は空襲ばかりで勉強できなかったから、中学生の時から息子らには『お前たちは自分で自分の道を切り拓け』と言い聞かせていた。まぁ実際、梅ジャムじゃ稼げませんから(笑い)。1人だから70年続いたんです」
梅ジャムは昭和40年代に5円から10円に値上げして以降、子供たちが手軽に買えるような価格を貫き通した。決して儲かる商売ではなかったが、極めた「味」には誇りがある。
「何人もの投資家から『高林さんの味をなくしたくない。譲ってほしい』と頼まれましたが、私と同じ味を出すのは不可能です。コツはどうしたって教えようがないですから」
70年続けた仕事から身を引く日、高林さんは梅ジャムを充填する機械に「長いことお疲れさまでした。ありがとう」と声をかけ、表面を日本酒で清めたという。
最後に“梅ジャムファン”への感謝の言葉と思いを語ってくれた。
「自分としては何の悔いもありません。今も電話が毎日かかってきて、『子供の頃に食べていました』『なくなると知って食べたくなった』と言われます。お客さまには『ありがとう』の一言です」
※女性セブン2018年2月22日号