「世の中には多種多様な人がいる」という当たり前のこと
32歳の時、中学の同級生が地元のスナックで同窓会をするというので行ってきました。多くがすでに子持ちで、小学校の運動会の写真を見せてくれたりしました。欲しいものはミニバンと作業用の新しい安全靴だと滔々と語る同級生もいました。
当時憧れだった女子は相変わらず美人だったのですが、母親が経営していたスナックを引き継ぎ、地元では有名な美人ママになっていると言ってました。子供もいるようで「オレ、○○さんのこと好きだったんだぜ」なんて告白する者に対しては「あ~ら、もう遅いよ、キャキャキャ」なんて“ママ然”とした口調で言い放つ。
この日は本当に様々な職業の人々が来ていましたが、20歳を過ぎると通常は同じような境遇の人しか合わなくなるものです。現在私が属するITやマスコミの業界については、多くが「大卒」「東京都心の生活に慣れている」「私服で仕事をする」「ちゃらい」「稼ぎはそこそこ」「新しもの好き」となります。だから、打ち合わせをしても案外似たような企画が出てきて、結果的に繰り出す企画もどこか似たような発想のものになりがち。
こうした企画を発信する主体が、我々のような人なだけに、もしかしたらとんでもなく全体から考えれば的外れなものになっているかもしれない。「世の中には多種多様な人がいる」という当たり前のことを普段の仕事をしていると忘れがちです。
しかし、公立中学で3年間を過ごすとそういった感覚は体に染みついているところがあります。たとえば私は大学卒業後、広告代理店に入りました。世間からいえば「エリート様」的な面もある会社です。これまた「一流企業」たる自動車やパソコンの展示会といったイベントのブース運営をするのですが、来場者に無料のスナック菓子やらレトルトソースを配ります。
アンケートを書いてくれる対価としてのものなのですが、これらを配ることをアナウンスするとすぐに数百人の列ができる。行列に並ぶ人にアンケートを渡し、それからしばらく待ってもらうわけですが、たかだか100円の菓子のために20分並び、アンケートに記入する。