挙句の果てには曹操に敗れて国を失った猛将・馬超とホウ徳を自身の配下に置くほどまでになります。その頃、劉璋は国を守りに来た劉備の増援要求に応えなかったことから逆鱗に触れ、逆に攻めたてられますが、そこで何を思ったか、張魯に対して「もしも劉備を倒してくれたら蜀の半分をあげるよ!」と泣きついてくるのです。
ちょっとちょっと劉璋さん、お前、張魯と仲悪かったんじゃねーのかよ? 張魯に攻められるから劉備を招いたのに何をお前はやっとるのじゃ、この愚者が。と言いたくなる展開になるのですが、張魯は「いつかは恩義に報いねば……」と日々鬱勃たるパトスを抱く馬超を飼い殺し状態にして功を焦らせ、そのマグマが溜まりきったところで一気に劉備を攻めさせるという離れ業もやってのける。結果的に馬超は諸葛亮の調略もあり張魯から疑われ、劉備に降伏するわけですが、あの馬超を屈服させた手腕というものも大したものです。
この部下掌握術、窮地に追い込まれた大物に恩を与えておいて飼い殺し状態にし、「ここぞ!」という勝負のタイミングでこのやり口というのは、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業が、経営が悪化し満身創痍だったものの液晶技術等に優れたシャープを買収したのに通じます。鴻海の老獪な実力者の飼いならし術、張魯的ですねぇ。
その後張魯は曹操に攻められて敗北するのですが、逃走の際、財宝を持っていくこともなければ、董卓のように洛陽を焼き払うとこともしなかったこの善行があって曹操は張魯を鎮南将軍に任命し、曹操配下につくわけです。五斗米道も滅亡することはなかった。