日本中どこへ行っても見かけるのがパチンコ屋。当たりを引いて玉がジャンジャン出てきた時の気持ち良さは、他ではなかなか体験できないが、どっぷりハマりすぎて身を持ち崩す人も少なくない。厚生労働省の調査によれば、国内のギャンブル依存症の人数は320万人と言われているが、都内に住む30代の男性・Iさんは、友人の適切過ぎる一言で、パチスロ中毒から極めて理性的に抜け出ることができたという。
Iさんがギャンブルに魅せられたきっかけは小学生の頃。父親が大の麻雀好きで、小学校低学年でルールを覚え、家庭麻雀で徹底的に鍛えられたという。中高時代にはゲームセンターに通いつめ、トランプ、将棋、テレビゲーム、ボードゲームなど、あらゆるゲームにハマったIさんが、パチンコに魅力を感じるのは時間の問題だった。Iさんが振り返る。
「高校時代はさすがにパチンコはやりませんでしたが、大学の合格発表を見に行って、その帰りに高田馬場のパチンコ屋に行ったのがデビュー戦です。ハマるまではあっという間でした。大学入学後は、出席を取る授業以外はすべてサボって、ほとんどパチンコ屋にいました。自分はパチンコよりパチスロ派でした。パチンコ雑誌は隅から隅まで熟読していましたし、開店時間のはるかに前から並んで良い台を確保したりしていたので、大損することはほとんどありませんでした」
池袋のパチンコ屋では、隣の台に座った男性から、「ウチのチームに入らないか?」と、パチプロ集団に勧誘されたこともあったというIさん。まだ、“パチプロ”と呼ばれる、パチンコやパチスロで生活していける人がいた当時、Iさんもいっぱしのサラリーマン並みに稼いでいたという。