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どれだけお金があっても満たされない「欠乏欲求」の落とし穴

 友人や恋人、あるいは家族がいて自分が必要とされる存在になると、他人から尊敬されたい、自分でも自分をすごいと思いたい、という欲求(承認欲求)を満たすためにお金を欲しくなります。私たちが尊敬する人物像はさまざまですが、私たちが尊敬する人は、他人や社会に価値を提供しているという側面もあります。また、そうした人たちは他人や社会に価値を提供した対価としてお金を持っていることも多くあります。

 お金を欲する視点からこの欲求を捉えると、お金は他人から尊敬される人間が持っている証になるので、お金を持つことで他人からすごいと思われる、そうした自分をすごいと思える、ということになります。また、そもそも私たちはより多くのお金を欲していますから、自分にない多くのお金を持っていること自体ですごいと思うこともあります。いずれにせよ、他人から尊敬されている証として、また自分でもすごいと思える証として、お金を欲するようになるのです。

人と比較することで自分の価値を測ろうとする

 これら4つの欲求(生理、安全、社会、承認)をマズローは「欠乏欲求」としています。ここでは詳しく触れませんが、その上に「自己実現欲求」というものがあります。欠乏欲求に対してこの段階は「存在欲求」となり、達成感や自分の成長を欲するようになります。

 私たちに注意が必要なのは、「欠乏欲求」を満たすことに固執しないようにすることです。なぜなら人間の欲には底がなく、「欠乏欲求」を満たすことに固執すると、いつまでたっても満たされる状態にならないからです。

 たとえば、老後資金として4000万円を貯めたとします。家族形態や持ち家の有無、年金の受給額、生活水準などによって安定的な老後生活が営めるかは変わってきますが、ここでは営めるとします。ただ、安定的な老後生活が営めるにも関わらず、欠乏欲求に固執するともっと多くの金額が欲しくなります。

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