「人間ドックに行っている」発言は水戸黄門の印籠
暑い夏、熱中症で救急搬送される人や死者が出ることにより、テレビのニュースや情報番組では「熱中症対策のために水分補給をしましょう」と訴えます。穿った見方をするわけではないのですが、「水分補給をしましょう」と「人間ドックに行ってくださいね」は同じような文脈で語られていると思います。
それは何かといえば、「心配している私」を表現する言葉である、ということです。猛暑の日に水分補給をするのは当たり前だし、体調に不安がある人に対して人間ドックや健康診断の受診を促すのは当たり前です。分かってるんですよ。暑い日は水分を飲まなくてはいけないし、体調に問題がある場合は人間ドックに行ったほうがいいことは。
この当たり前のことを相手(視聴者・目の前にいる人)に言わずにいることは、「最低限の助言はした」という配慮をしなかったことに繋がります。もちろん本気で心配をしていることは分かりますが、実際は「自己防衛」的な側面もあると思います。
こうした配慮には本当に感謝なのですが、そんな助言をしてくれる人に対しては「大丈夫。水筒に麦茶を入れてミネラルと水分補給をいつでもできるようにしているよ」と言ったり、「大丈夫。再来週、誕生日に合わせて人間ドックを予約しているよ」と言うことで安心してもらえるのです。
とにかく健康を心配してくれている人に対して「人間ドックを予約した」と「この前人間ドックに行き、肝臓と貧血以外は完璧な状態だったよ」と伝えるのは、その人に「それ以上心配の言葉をかけてあげなくてはいけない煩わしさ」から解放させる効果もあります。
私のような人間と酒を飲む場合、万が一突然倒れたり、飲んだ数日後に肝硬変と診断された場合、その人の心持ちも悪くなるでしょう。だからこそ心配の言葉をかけてくれるのですが、「人間ドックに行っている」と言うことにより、仮にぶっ倒れたとしても「私はちゃんと彼に体調を心配するアドバイスはしたよ」というエクスキューズになるわけです。
私としても宴席に誘っていただいた人に対して申し訳なさを抱いて欲しくありません。だからこそ「人間ドックに定期的に通っている」という事実は水戸黄門の印籠のごとき正当性を円滑な人間関係を推進するにあたって重要なのです。これが人間ドックのかなり大きな受診理由かな、と考えるに至りました。7万6000円は決して安い金額ではありませんが、自分のことを考えてくれている人に安心感を与えられる。だから人間ドックは毎年行くようにしています。