1996年、「青田買い」が続出しルールの形骸化が批判されたことから、就職協定が廃止された。しかし1997年には日経連により倫理憲章が策定され、10月1日の内定解禁がルール化された。しかし10月1日以外の日程の制限がなく、結局早期化が進んだ。
2003年、早期化への対策として倫理憲章が改定された。ルール遵守への署名や、ルール違反企業の社名公表という罰則強化から、一定の効果があった。
2013年、安倍政権の要請などもあり、就活の後ろ倒しが経団連などにも求められ、「採用選考の指針」が生まれた。2016年卒から3月1日の説明会スタート、8月1日の選考開始となったが、翌年から選考開始は6月1日となった。
そして2018年、経団連は就活ルール(採用選考の指針)廃止を決定した──。
いかがだろうか? ルールが作られ、すぐに破られ、再び作られ、また破られる。このようなことを100年近く繰り返していることがわかる。これはもう日本の伝統芸の一つとも言いたくなる。
ルール実施の初期は守られることが多い。有名企業の人事は概して保守的であり、自分だけ目立つことを嫌う。よって様子を見る、つまりルールは守られるのだ。
ところが少し時間が経つと、採用に苦戦した企業が、採用を前倒しし始める。すると競合他社も追随し始める。年数を経るにつれて前倒しの時期がより早くなり、ついにはルールが形骸化する。もはや誰も守らないルールに意味はないとの批判が出始め、ルールが廃止される。
こうなると採用活動の早期化に歯止めがかからなくなり、大学、政府からは大学生の学業を阻害しているとの批判が巻き起こる。企業も過剰な採用活動競争に疲れが見え始め、両者は歩み寄って、名称と時期を変えてルールが再策定される。