勝谷さんは会った途端「いやぁ~! 面白かったよ! ようやくこんな本を書くヤツが出たか、と嬉しかったよ!」と相好を崩し、私と握手をし、肩を叩いてくれました。そして、いきなり「淳ちゃん、もうさ、なんでこの本書いたのかとか教えてよ!」と椅子に座りながら、コーフン気味に前のめりで取材を開始してくれたのです。
勝谷さんに書いてもらった記事が「壁」をぶち破ってくれた
約1時間の取材が終わる直前、こちらも言いたいことを言ったら勝谷さんは突然こう言ってくれました。
「淳ちゃんさぁ、今から焼肉行かない? 淳ちゃんも好きなプロレス好きが集う店があるんだよ!」
もちろん、こんな素晴らしいオファーを断るわけもなく、四ツ谷の焼肉屋の近くまで編集者と勝谷さんと3人で、タクシーで向かいました。当時は1メーター710円でしたが、この710円の距離で降りたところ、勝谷さんは運転手には1000円札を渡し、「お釣りはいらないよ」と言います。
私は「290円もらい損ねてもったいないじゃないですか!」と言ったら勝谷さんは「いいのいいの。タクシーは1000円が最低単位と思っておけばいい。これで運転手が気持ちよく仕事できれば社会は良くなる」と言います。
その後は、焼肉屋で酒を大量に飲んでどんちゃん騒ぎとなるわけですが、勝谷さんは「淳ちゃんは飲みっぷりいいなぁ! いいぞ! 気にいったぞ!」みたいなことを言ってくれ、この時私は「あぁ、昔から伝説の編集者・ライターとして知られ、今はテレビにも出ている勝谷誠彦さんと一緒にいるんだなァ……」と幸せに浸っていました。
当時、私の両親は自分の息子がパッとしないフリーライターをやっていることに危機感を覚えていました。せっかく博報堂という世間で言えばまともな会社に入ってくれた自慢の息子が、完全にドロップアウト組になってしまった……。もう「近所の人が羨む息子」ではないのか……。
そうした忸怩たる思いを両親は持っていたことは知っていたので、勝谷さんと会っている様を見せれば親も安心するかと思い、実家の母に電話をしました。「今、あの勝谷誠彦さんと飲んでるよ。安心してくれ。オレはこんな人とも一緒に仕事をしている」と伝え、勝谷さんにも「オレがちゃんと仕事をしていることを伝えてもらえませんでしょうか」とお願いをしました。