すると勝谷さんは「オタクの息子さんは真っ当なことを言ってる」「オタクの息子さんはこれから活躍するよ」みたいなことをまくしたててくれます。そして、恐らくは「いつも毒舌なコメント楽しみにしています」なんてことを母は言ったのでしょう。すると勝谷さんはこう答えました。
「コメンテーターが毒舌でなくなったら存在価値はないんですよ、お母さん、ガハハハ!」
後に勝谷さんは朝の情報番組のコメンテーターを辞めることになりますが、そこには同氏の覚悟があったのかな、とも思います。
さて、「誰と出会うか」をテーマに書くと宣言したわけですが、勝谷さんに取材してもらった記事が『日経コンピュータ』に出て以降、私の元には次々と執筆依頼、取材依頼、講演依頼が舞い込むようになりました。
それまでは「この過激な本を書いた人に仕事を頼んでいいのやら……」といった気持ちを各人は持っていたのでしょう。ところが勝谷さんがその「壁」をぶち破ってくれたのです。以後、勝谷さんとは何度も飲みに行き、何度もネットの生中継をするなどし、さらには軽井沢の別荘にも行かせてもらいました。
2016年頃、勝谷さんは唇を過度に動かし「ブッブッブッ」という音を発するなど以前とは異なる様子を見せていたため、体を心配していたのですが、2017年は兵庫県知事選に出馬するなど、元気になった様子で安心していました。出馬にあたってもメールをいただき、「淳ちゃん、ネットでの援護射撃頼むよ!」みたいなことを言ってもらえ「がってんでぇい、親分!」みたいに返事をし、応援の文章を書いたりもしました。
こうして勝谷さんの思い出を書いてきましたが、結局今、私が様々な場所で名前を出して仕事をさせてもらう大きなきっかけを作ってくれたのは勝谷さんなんだな、と思っております。ですから読者の皆様方も、自分を盛り立ててくれる周囲の方々を本当に大事にしてくださいね。