なぜ大阪には世界から人、企業、投資、情報が集まってこないのか? 多国籍の人々の生活を支える都心のインフラ(住宅、教会、学校など)がないからだ。たとえば、グローバル企業の社員が暮らすためには、オフィスから近い広くて快適な住宅が極めて重要だ。東京の場合は六本木ヒルズや東京ミッドタウンなどに月200万~250万円の企業トップ向けサービスアパートメントがあり、山手線の内側にはマネージャークラスが賃貸できる良質なマンションが豊富にある。
一方、大阪はそれに見合うものが市内にない。日本企業の役員クラスの人たちは、仕事が終わって北新地あたりで会食したら、兵庫県の芦屋や夙川、奈良県の生駒などに帰っていく。これではグローバル企業の社員のライフスタイルには全く適合しない。だから、大阪都心から離れた人工島でポツンと万博を開催したり、カジノを造ったりしてみても、世界から企業や投資が集まってくるわけではないので、永続的に繁栄する基盤にはならない。
そもそも大阪では1970年の万博の後、1990年に花博(国際花と緑の博覧会)も開かれている。しかし、いま残っているものといえば、太陽の塔を中心とした万博記念公園と花博記念公園鶴見緑地、そしてエスカレーターで右側に立つという大阪だけの習慣(前回の万博で世界標準に合わせた名残)だけである。
大阪を繁栄させるためには、都心部を「職住近接タウン」に造り直さなければならない。たとえば、御堂筋の両側2kmや大阪城の周りを「面」で一体的に再開発するとともに、川や運河・水路を活用した新しい街づくりを推進するのだ。そういうコンセプトを作るために必要なのは、20~30年後の大阪の姿を「構想する力」、言い換えれば「発想を飛ばして無から有(0から1)を生み出す力」である。
私の友人のダニエル・ピンク氏が著書『ハイ・コンセプト』(三笠書房)で指摘しているように、AI(人工知能)が人類の知能を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)が訪れるとされる21世紀にまともな給料をもらって良い生活をしようと思ったら、数字や論理を並べて辻褄を合わせる左脳型の能力ではなく、AIに置き換えられない「無から有」を生み出す右脳型の能力を磨かなければならないのだ。新しい時代の国づくりや街づくりには新しい“ハイ・コンセプト型人材”が必要なのである。
しかし、そういう人材は文部科学省の学習指導要領に基づいた「答えを覚える」だけの20世紀の教育からは生まれてこない。旧態依然とした国を挙げてのイベント経済頼みが続いている理由も、そこにある。これまで何度も述べてきたように、教育を根本的に変えなければ、この国が再び繁栄する日は訪れないと日本人は肝に銘じるべきである。
※SAPIO2019年1・2月号