「2学期に入ると、A君の練習や試合への出席率がガクッと落ちました。どうやらA君は勉強も抜群にできるようで、両親が中学受験用の塾に入れたため、両立が厳しくなったのです。A君自身は野球をやりたがっていましたが、私がヨソの家の教育方針に口を出すわけにはいきません」
その後、チームの勝敗は、A君が試合に来るか来ないかに大きく左右されるようになり、チームメイトのやる気が徐々に低下。そして昨年12月、崩壊の時は唐突に訪れた。
「それまでは多くても2点しか取られなかったA君が、初回から大量失点、2回にはまったくストライクが入らなくなったのです。あまりに点差がついたため、試合は打ち切りになりました。試合後のミーティングでは、上級生のチームメイトがA君に対して『練習が足りないから、こうなったんだ!』と言ったかと思えば、練習を1度も休んだことがない子からは、『休みがちなAがエースで4番なのはおかしい』という声も上がりました」
あくまでも実力主義でいくのか、努力する子を評価するのか……少年野球のコーチなら必ずぶつかる問題だろう。Hさんは基本的に後者のスタンスだったが、あまりにA君の力がずば抜けていたため、彼をベンチに置くことはできなかった。しかし、結果としてそのやり方はチームメイトやその保護者たちの間に大きな軋轢を生んだ。しばらくして何人かの選手が立て続けにチームを辞め、さらに風の噂で、保護者たちが「HさんがA君を贔屓した」と言っていることを知り、Hさんは決断した。
「もともと私がこのチームのコーチになったのは、息子がお世話になっていたからです。最初は『息子がいる時だけ』と思っていましたが、愛着がわき、息子が卒団したあともコーチを続けてきました。もちろん無償です。しかし今回の一件で、一気にやる気がなくなりました。残った子たちには悪いと思いましたが、妻にも『ストレスになるぐらいなら辞めたら?』と言われ、決心がつきました」
慰留を振り切ってチームを離れたHさんだったが、その後チームは完全にバラバラになり、試合はおろか、練習も成立しないようになってしまった。なにぶんチームの関係者はご近所さんばかりなので、Hさんも「バッタリ会ったら気まずいだろうな」と、ビクビクしながら生活しているというが、今までのように大好きな野球を楽しむことができなくなってしまった子供たちは、もっと複雑な気持ちだろう。