しかし生きている限り、誰しもが社会から存在の意味を認められたい。だから少しでも若さを保とうと、アンチエイジングにも励むのです。それでも、遅かれ早かれ、みんな行き詰まってしまう。
しかしこの見方は一元的なものに過ぎません。山や谷川に行けば、石がゴロゴロと転がっている。木の根元を掘れば、さまざまな虫が見つかります。鹿に熊、花には蝶。彼らは一切、経済的利益を生み出していません。だけどそこに存在している。
実は人間も同じです。これまでは“自分には意味がある=経済的利益を生み出している”と思い込んでいただけで、目先を変えて自然界から眺めれば、そこにはまったく意味などありません。
コロナ禍に人々は苦しんでいますが、自然界から見れば、空気も水もきれいになった。昆虫からしたら、この状況を大歓迎していることでしょう。
つまりわれわれ人間は、経済的利益を生み出せなくなったから意味をなくすのではなく、もともと、“誰もが不要不急の意味のない存在”なのです。それどころか、自然界にとっては迷惑な存在でしかない。若さや老いは関係ありません。
「成熟」とは、言い換えれば「自分で考えて決める」ということです。
コロナによって、これまでの社会は一変しました。すると、状況状況で、自分で判断しなければいけなくなる。これが結構面倒です。「ルールがあったほうが楽だ」ということになって、国や自治体に「決めてくれ」と言い出す。そして今度は「あいつはルールを破った」と非難し合う。いま、求められているのは、「自分で考えて決める」ことです。状況状況で、判断すればいいのです。
もちろん、外に出れば、どんなに注意を払っても、コロナがうつる可能性はあるでしょう。しかしそれとて、お互いさまです。生きているだけで迷惑な存在同士、そうやって折り合いをつけていくしかない。