「お金持ち」といえば、豪邸に住んで高級車を乗り回し、最高級のブランドファッションに身を包み、豪華な食事に舌鼓を打つ……そんなイメージを持っている人も多いのではないだろうか。その一方で、新刊『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』(講談社現代新書)が話題の作家・橘玲氏は、「高級品・ブランド品に価値があるとされる時代は過去の話になりつつある」と指摘する。いったいどういうことか。お金の価値と人々の消費行動の変化について、橘氏に聞いた。
――高級品の価値にどんな変化が起きているのでしょうか。
橘:ヒトは徹底的に社会化された動物なので、共同体のなかで周囲のひとたちと協調しつつ、自分を目立たせてヒエラルキーの上位を目指すというものすごく複雑なゲームをしています。競争のやり方は男と女で異なりますが、より高い地位の者が、より安全でゆたかな生活とよりよい性愛を獲得できたことは間違いありません。
狩猟採集生活から農耕社会に移行し、富が蓄積できるようになると、権力者はモノによって自らの地位の高さを宣伝するようになりました。豪邸やスーパーカー、シャネルやグッチのようなブランドによって自分の価値を誇示するのが「顕示的消費」ですが、なぜこのようなことをするかというと、誰が成功者で誰がそうでないかを「内面」では判別できないからです。
ムダなものに大きなコストをかけられるのは本物の成功者だけだからですから、地位の高さを偽ろうとしても、ほとんどの場合、このハードルを越えることができません。有史以来、わたしたちは「外面」によって他者を評価してきたのです。
ところが近年、消費文化に大きな変化が現われつつあります。貧困ばかりが注目されますが、経済格差が拡大すれば、その一方で富裕層も増えていきます。クレディスイスの「世界の富裕層」レポートをもとに試算すると、アメリカでは6~7世帯に1世帯、イギリスは10世帯に1世帯、日本とフランスは14~15世帯に1世帯がミリオネアで、「億万長者がどこにでもいる世界」にわたしたちは暮らしています。
需要と供給の法則によって、たくさんあるモノは価値がなくなっていきます。お金があふれた社会では、「顕示的消費」で差別化しようとしても、同じようなモノや、もっと高価なモノを持っている富裕層はいくらでもいます。さらにドナルト・トランプの登場で、顕示的消費は尊敬されるどころか「成金趣味」として蔑まれる風潮すら生まれました。
決定的なのは、ツイッターやフェイスブックなどのSNSです。これによって人類史上はじめて「評判」が可視化され、「外見」ではなくフォロワー数や「いいね」の数で評価できるようになりました。全身を高級ブランドで固めていてもフォロワーが100人しかいないのと、ユニクロを着ていてもフォロワー100万人では、どちらが高く評価されるかはいうまでもありません。富から評判へという価値基準のパラダイムシフトによって、モノによって地位を誇示することは無意味になりつつあります。