「一方で、『インフォーマル(私的)な社会関係』『子育ての問題』『基礎的な人間関係』は子育ての影響が大きいですが、これは幼児期の虐待や育児放棄など、ネガティブな影響が反映されているようです。遺伝率はよい方向でも悪い方向でも“極端”になるほど高くなる。並外れた才能も、世間を震撼させる凶悪犯罪も、遺伝的な要因が大きい。逆に言えば、平均付近のほとんどの場合、遺伝と非共有環境、つまり学校や友だちの影響が半々ということです」(橘氏、以下同)
いくら親が努力して子どもに頑張らせようとしても、子どもの「やる気」や「集中力」は親から受け継いだ遺伝の限界に突き当たる。それにもかかわらず、親や教師が一方的に「頑張れ」と子どもを叱咤するのは、むしろ残酷なことかもしれない。
「自分の子ども時代を振り返ればよくわかると思いますが、親(家庭)の影響が大きいのは幼少期までで、小学校高学年になれば友だちとのつき合いの方が大事になり、思春期を過ぎれば親の説教などどうでもよくなる」
だとすれば、まず親が「頑張れない」を許せない姿勢から脱却する必要があるのではないだろうか。
「近年の発達心理学では、幼児教育は意味がなく、『子どもは適当に遊ばせたほうがいい』とされています。数百万年の人類の歴史のなかで、子どもは遊びながら成長するように『設計』されてきた。子どもたちをひとつの建物に『監禁』し、先生の話を聞かせるというのは、実は異常なことなのです。
学校は勉強するところというより、人間関係を学ぶところと考えるくらいでちょうどいい。なにより問題なのは、『教育はすばらしい』という“神話”です。そのため、教育制度から脱落した子どもたちが『無理ゲー』の世界に放り込まれてしまう。これはものすごく残酷なことです」
まさに言葉を失うほどの衝撃的研究結果である。だが、絶望ばかりはしていられない。まずは親たちが子育ての発想を転換することが、「無理ゲー社会」から脱出する第一歩となるのかもしれない。
※ニューノーマル研究会編『ウィズコロナ時代に後悔しない 暮らしの新常識109』より一部抜粋、再構成