でも、こうした経験を通して、人を見抜く力や、人に応じた接し方を学ぶことができた気がします。それに何より、昼の仕事場とは180度違って女の子がたくさんいる華やかな職場です。その場にいるだけでワクワクしていました。
キャバクラはすっかり僕の日常となり、家業との両立も板についてきました。ついには店長を任されて、店の経営を担うまでになったのです。しかし、そんな日々も長くは続きません。一家の大黒柱である親父の身体に異変が起こったのです。
親父の病気は、ガンでした。治療に専念しなければならない以上、家業の担い手はもう、僕しかいません。これまでみたいに、バイト感覚の手伝いというわけにはいかなくなりました。
昼は家業、夜はキャバクラの店長として働き詰め。家に帰る余裕さえほとんどなくなり、作業場で仮眠を取るような毎日でした。それでも、親父の留守中に会社をつぶすようなことがあったら合わせる顔がありません。快復を信じて僕はがむしゃらに働きました。
しかし結局、親父は帰らぬ人となってしまいました。さすがにもう、キャバクラの仕事は続けられません。僕は正式に、親父の後を継ぐことになりました。
■親父の遺した名刺に片っ端から電話したところ……
1998年、僕は21歳で経営者となり、母ちゃんと妹たちを養う一家の大黒柱になりました。突然のことで右も左もわからない状態だったけれど、まずは取引先や親父が世話になった人たちにあいさつをしよう、と思い立ちました。
仕事についてはある程度わかっていたものの、すべての取引先を把握しているわけではありません。ましてや親父の人間関係なんてまるで知りませんでしたが、幸い、名刺の束が見つかりました。
「この名刺の人たちに、片っ端から電話していくか」
中には、どういう関係の人なのか判然としない名刺や、なんの会社かまるでわからないものもありましたが、とりあえず順番に電話をかけることにしました。親父が死んだこと、そして息子の僕が後を継いだことを報告し、
「今後とも、よろしくお願いします!」
と、一人ひとりにあいさつしていったのです。その名刺の中に、○○交易という会社がありました。ほかの会社と同じように電話をかけて、事情を報告すると、相手は同情のこもった声でこう言いました。
「お父様がそんなことになっていたとは……、本当に残念です。……ところで、商品先物投資に興味はありませんか」
「は?」
「わずかな投資で大きな利益のチャンスがあります。経営者の方に大人気なんですよ」