家計

緑川静香さん“フリマアプリの達人”が明かす雑草魂 「貧乏した経験も無駄じゃない」

7月6日放送の番組で、最初に売れたのが奥行きのある壊れたモニターだったことを喜ぶ緑川静香さん(C)中京テレビ

7月6日放送の番組で、最初に売れたのが奥行きのある壊れたモニターだったことを喜ぶ緑川静香さん(C)中京テレビ

 地道な作業を繰り返し、総出品数は191品になった。

 4日目には売れ行きのよくなかったサボテンの写真を撮り直し、そのほかの売れない物を一斉値下げ。迎えた最終日には191品中73品が売れ、合計24万3253円を売り上げた。依頼主には、販売手数料や送料などの諸経費を引いた、16万7487円が利益として渡された。

 番組はここで終了するが、依頼者は緑川さんの教えのもと、完売を目指し、引き続き出品を続けていく。

貧乏時代には小3でひとりフリマも経験

 そもそも彼女がフリマアプリで物を売るようになったきっかけは何なのか? 彼女の答えは、にこやかな笑顔からは想像もつかない、壮絶な幼少期の話から始まった。

「私が5才のときに、父が蒸発したことからわが家の生活が苦しくなりました。それで、小学2年生からの11年間、私は母の知人の家の物置(土壁の3畳間)に住んでいて、とにかく貧しかったんです。

 そんな中で、初めて物を売ったのは小学3年生の頃。学校からの帰り道でふと見ると、おもちゃが捨てられていて、いま思えば、壊れているから捨てられていたのですが、当時はそれには気づかず、公園に持って行って1つ10円とか20円とかで、ひとりフリマを始めたんです。でも、まったく売れなくて(笑い)。そこで、おもちゃ屋さんに行って、何が人気で、どうしたら売れるんだろうと観察していたこともありました。それが不用品を売った最初ですね」

 当時は、道端で摘んだ雑草が食卓に上ることもあったというが、小3の女の子がひとりでフリマをやっている姿を想像すると言葉を失う。

「その後も公園でのフリマを続けつつ、リユースショップや買い取り店にもトライしました。でも、買い取ってもらえなかったり、とんでもなく安くしか売れませんでした。それが納得できずに、2016年頃にフリマアプリをやってみたら思いがけず高く売れたので、それ以降はフリマアプリで売るようになりました」

 2006年、18才のときにスカウトされ、芸能界入り。いまの事務所に所属するようになるが、すぐに収入が上がったわけではなかったという。

「事務所に入ったばかりの頃は、お給料がとてつもなく安くて、フリマアプリの売り上げで生きていました。寂しい話ですけどね(笑い)」

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