20代で外車の並行輸入ビジネスを始め、泡立つバブル景気に押されて年商100億円を達成。人気番組『¥マネーの虎』(2001年10月~2004年3月、日本テレビ系)で「冷徹な虎」として人気を博した、株式会社LUFTホールディングス会長の南原竜樹さん(62)。番組終了後、思いがけない波瀾万丈の人生を歩んでいた。【前後編の前編】
『¥マネーの虎』といえば、「金はないが夢はある」起業家が出資を求め、一攫千金のアイデアをプレゼンテーションした伝説のテレビ番組だ。「虎」と呼ばれる審査員たちが侃々諤々の議論を交わし、出資の可否をジャッジする――。キャラ立ちしたクセ者揃いの審査員の中でも、論理的でクールな物言いから「冷徹な虎」と呼ばれて注目されたのが、南原さんだった。
若き実業家として輸入車販売業で年商100億円を達成し、テレビでも人気者となった南原さんの人生が一変したのは、『¥マネーの虎』の終了から約1年後、2005年4月のことだった。南原さんの会社がインポーターを務める英MGローバーが経営破綻したのだ。だがこの時、最後の瞬間まで南原さんは楽観的だったと振り返る。
「ジャガーはインドのタタ自動車の子会社で、日産はルノーの子会社ですよね。自動車業界は経営が危うくなると新しい資本が入って立て直すのが常で、ローバーにも買収の話があったから不安はまったくなかった。それなのに、いきなり倒産したんです。当時の英紙は『中国の会社に騙されて破綻に追い込まれた』と報じていました」(南原さん。以下同)
45歳でホームレスに転落
MGローバーの突然の倒産で、南原さんの会社は20億円の特別損失を計上。取引先の銀行からは「もう融資はできないが、返済は予定通りにお願いします」と冷たく告げられた。
「当時の僕らは10行の銀行から1億円ずつ借り、ローンのように毎月返済していた。ある程度返済するとまた貸してもらう、といった繰り返し。お風呂の栓から水が抜けても、蛇口から新たに水を注ぎ足して満タンを保っていた状態ですね。ところが新たな借り入れを拒否され、水が栓からどんどん抜けていき、キャッシュフローが急激に悪化した。それなりの資産はあったけど、毎月1億円の現金が消えていくギリギリの状態になり、ついに会社の清算を決意しました」
手痛い仕打ちを受けた南原さんは、会社を清算するために自社ビルや田園調布のショールーム、輸入済みの車など全資産を売却し、200人以上の従業員を泣く泣く解雇した。
「これまで一緒に頑張ってきた仲間に解雇を告げるのは、人生で最も辛いことで嗚咽しました。ただ、解雇予告から1か月で全員解雇してからひとりで膨大な“敗戦処理”に追われ、精神的に落ち込む暇がなかった。社員が去り、机やイスを売却してがらんとしたオフィスをひとりで掃除したのを覚えています」