24時間バイト生活
日本と外国の内外価格差を利用した輸入ビジネスに目覚めた南原さんは、その後、大学を中退してひとりで起業した。手持ちの資金はゼロだったので昼夜を問わず働いた。
「資金を得るためにオートバックスで8時間、吉野家で8時間、モービル石油で8時間バイトして、吉野家ではお客さんがいない時に立ったまま寝ていました(笑)。当時は事業を拡大するより、『誰でも憧れの車に乗れる』ようにしたい気持ちが強かった。700万円のVOLVOでも450万円なら手が届く。商売を始めて、欲しかった外車を手に入れたお客さんから『おかげで夢が叶いました』と感謝されることがすごく嬉しかったですね」
高度成長期からバブルに向かう1980年代、富の象徴でもある高級外車は飛ぶように売れ、起業から数年で売り上げは30億円を超えた。1988年、28歳の南原さんは個人商店を法人化。「オートトレーディング・ルフトジャパン株式会社」を立ち上げ、アルファロメロの代理店を買収し、MGローバーやロータスの輸入権を獲得するなど、破竹の快進撃を続けた。
「バブル期は中小企業の経営者も景気が良く、『ベンツ1台持ってこい!』と、500万円のローンをポンと組んで高級車を買う時代。そうしたなか、私はローバーやロータスといった英国の自動車メーカーにも日本でのブランド展開に向けた事業計画をプレゼンし、輸入権を獲得したんです。資金力では競合大手に歯が立ちませんでしたが、優秀なブレーンとともに地道な努力を重ねたことで、信用と信頼を勝ち取ることができました」
1995年には東京と大阪に同時進出し、福岡や埼玉にも店舗を出した。“機を見るに敏”のビジネススタイルで事業は完全な右肩上がりに。年商はやがて100億円に到達した。
「今と違って円高だったので、世界中の車を安く買えました。メキシコのペソが暴落したら、すぐにメキシコからフォルクスワーゲンビートルを輸入するなど、好機を逃さない買い付けで世界中の面白い車を輸入しました。ゆくゆくは国内だけでなく韓国の釜山やソウル、それから中国にも店舗を出すつもりで、本気でアジア進出を狙っていましたね」
車好きの青年から年商100億円のプロ経営者となった南原さんは、数々の「富豪伝説」を持つ。中でも際立つのが、イギリスで受けた「おもてなし」だ。