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幼稚園時代から「毎年100万円のお年玉」を貰っていた男性が後で気づいた父の真意

子供の頃は「今年はいくら入っているか」と期待した(イメージ)

子供の頃は「今年はいくら入っているか」と期待した(イメージ)

 バブル期の豪快さは今でも語り草になるが、飲食店はとりわけ顕著だったようだ。実家が東京・下町で料亭を営んでいるIさん(40代/男性)の当時のお年玉はケタが違っていた。

「私の実家は東京では老舗と呼ばれる料亭で、私はそこの一人息子。子供の頃から父に連れられてお座敷に挨拶に出ていました。当時は1月3日から営業していましたが、子供の私がきちんと和服を着てお客様に挨拶すると、かなりの確率でお年玉を貰えました。額も大きくて、中には5万円くらいくれた人もおり、総額は数十万円に達していました。父にお年玉を取り上げられることはありませんでしたが、必ず『いくら入っていた?』と聞かれたのはよく覚えています。いま思えば常連の懐具合を探っていたんでしょうね」(Iさん)

毎年「封が付いた1万円札の札束」がお年玉袋に

 いささか特殊な環境だが、バブルとは無関係に毎年たっぷりお年玉を貰っていたのは、東京・港区に住む会社員のMさん(30代/男性)だ。

「私の父は古典芸能の師匠をしており、正月には自宅に大勢の来客があって、毎年その世話をさせられていました。もちろん遊びたいのは山々でしたが、目当てはお年玉。『息子の○○です』と挨拶すると、ポチ袋を渡されたり、手にお札を握らされたり、文字通り袖の下にお金を入れられたり、とにかく数え切れない人からお年玉を貰いました。私は金遣いが荒く、どんどん使ってしまっていたので、総額は分かりませんが、軽く50万円は行っていたと思います」(Mさん)

 額は今までの例に劣るが、貰う相手が特殊だったのは、埼玉県に住むAさん(40代/男性)だ。

「私の父はテレビマンで、担当は歌番組。正月は毎年、紅白に何回も出た大物演歌歌手のKさんの新年会に家族揃って招かれていました。会の途中でKさんに挨拶に行き、『○○の息子か! 明けましておめでとう!』と言われ、お年玉を渡されるのがお決まりのイベント。必ず1万円が入っていました。Kさんは大人にもお年玉を渡していたので、新年会の度に数百万円は配っていたんじゃないかと思います」(Aさん)

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