1983年にプロ入りし、中日ドラゴンズ一筋で史上最年長勝利の記録を打ち立て、2015年限りで引退した山本昌氏(57)。プロ入り当初は二軍スタートで苦しい時代を経験したが、一軍に定着してからはご存じのように快進撃を見せつけた──。あらゆる仕事・業界の“マネー格差”について徹底調査した話題の新刊『マネー格差の天国と地獄』(ニューノーマル研究会・編)から、山本氏がその目で見た“プロ野球一軍と二軍の格差”の実態をレポートする。
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「一軍と二軍の違い。まさに天国と地獄ですよ」と語るのは中日ドラゴンズの元投手・山本昌氏だ。沢村栄治賞や最優秀投手賞など受賞歴多数。50歳の大台に乗っても投げ続ける姿を国民はレジェンドと賞賛した。
だが、その野球人生は平坦ではなかった。
「5位指名ですからね。プロ入りから3年間は二軍生活でした。一軍に上がってからもすぐには活躍できず、苦難の日々が続いた」
二軍時代の辛い思い出について話を向けると、「妙な話だけど」と前置きし、「日焼けする生活が辛かった」と語り始めた。
「二軍はね、練習も試合も真っ昼間にやるんですよ。だから選手はみんな真っ黒に日焼けしている。後年一軍入りして、ナイターのカクテル光線を浴びながら投げた時は本当に嬉しかった」
観客もまばらな真夏の真っ昼間、灼熱の太陽の下でマウンドに立つ。前の晩テレビで見たナイターでは自分より年下の選手が気持ちよさそうに投げている。そんな毎日にジリジリと焼かれるような焦りを感じたという。
「二軍1年目の年俸は360万円でした。月額に直すと30万円。スカウトの人が将来のために貯金をしなさいって指導してくれる。すると自由に使えるお金は僅かです。当然スポンサーなんか付かないから、道具も自分で揃える。バット一本1万円以上しますからね。給料のほとんどを用具費に充てる同僚もいましたよ」
遠征時の待遇も、一軍と二軍では大違いだ。
「当時、ドラゴンズの二軍はバス移動が多かった。関西に阪神、南海、阪急、近鉄の4球団がありましたからね。新幹線に乗れたのは広島カープとジャイアンツの試合だけ。当然普通の指定席ですよ。行った先でも一軍は一流ホテルで、食事は高級ビュッフェ。二軍はビジネスホテルでそれなりの食事……」