熱意と信念に満ちた指導は、どんなに時が経っても薫陶を受けた人間と共に生き続ける。1964年の東京五輪で金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と呼ばれた元バレーボール女子日本代表の千葉勝美さん(旧姓松村・80才)が、恩師との思い出を振り返る──。
「現役引退後、あまりにも人生がスムーズなんです」
千葉さんが語る。
「チームを率いる大松(だいまつ)博文監督(享年57)の指導を受けた3年間に勝る大変さを、その後の人生で一度も感じたことがないんです。
子供の夜泣きで深夜に何度となく起こされたときも、病を患った夫の世話に追われていたときも、ぎっくり腰になって体中が痛んだときも、周囲から心配されるたびに、むしろ“こんなに楽でいいのかしら”と思ってしまうくらい(笑い)」(千葉さん・以下同)
大松監督のトレーニングは徹底したスパルタ式。「鬼の大松」と恐れられるほど苛烈なものだった。
「何より大変だったのは、監督が“今日はこの技術を習得させる”と決めたら、それをクリアするまで、何があっても絶対に終わらないこと。
朝の5時や6時までかかることもざらにあり、それが365日、お正月休みも取らずに毎日続く。よく育児や介護は“終わりが見えない”なんていわれますけど、まさにその状態です。
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