トランプ政権が発足し、米中関係の行方に世界の注目が集まっている。対立が激化する展開を予想する声もあるが、中国に関する多数の著作がある社会学者の橋爪大三郎氏と元朝日新聞北京特派員のジャーナリストでキヤノングローバル戦略研究所上席研究員の峯村健司氏は、「米中関係は歴史的に準同盟関係だった」と指摘する。1972年に実現した毛沢東とニクソン米大統領による「米中和解」について語り合った(共著『あぶない中国共産党』より一部抜粋、再構成)。【シリーズの第18回。文中一部敬称略】
* * *
橋爪:文化大革命がまだ終わらない1972年2月、アメリカのニクソン大統領が中国を訪問しました。毛沢東と握手して、世界を驚かせた。共産党の中国が資本主義のアメリカと手を結んだのですから、世界史の大事件です。
でもこの米中和解は、どちらからアプローチしたのか、真相がよくわからない。確実なところから、確認していきます。
まず、1960年代末ごろから、中国はソ連と戦争になると覚悟していた。戦争になれば核戦争です。それに人民解放軍では、とてもソ連に太刀打ちできない。
もともと毛沢東は、アメリカの核兵器など「張り子の虎」だ、と偉そうなことを言っていました。中国は人口が多いから、ちょっとぐらい死んでも平気、などと強がった。でも口だけで、内心はびくびく気が気でなかったと思う。
峯村:米中接触に至る毛沢東の動機のひとつが、ソ連に対する脅威、中ソ対立であるのは間違いないと思います。私がこれまで中ソ関係の歴史を研究してきて難解だったのは、毛沢東とフルシチョフの個人的なぶつかり合いから発展した中ソ対立が、フルシチョフ失脚後も終わらず、構造的な対立にまで発展したことでした。
その究極が、1969年に起きた、中ソ国境のウスリー川に浮かぶダマンスキー島、中国名では「珍宝島」の領有をめぐり起きた、中ソ両軍の衝突です。
このころの中国は、予算も技術もないなかで、必死に核開発を続けていました。その大きな理由が対アメリカではなく、ソ連の脅威に対抗するためだったというのは、華東師範大学の沈志華教授らの調査で明らかになっています。現在、珍宝島は中国の領土になっていますが、外国メディアの立ち入りが制限されているほど敏感な地域になっていて、中ソの不信感は非常に根深いものだと思っています。
橋爪:当時、毛沢東も人民解放軍も、ソ連と戦争になると思っていた。大学生や労働者があちこちの都市で、防空壕のような核シェルターを掘るのにかり出された。けっこう本気だった。
中ソの戦争になるかもしれないことは、アメリカも気がついていた。アメリカにとって最悪のシナリオは、戦争で中国が負けて、そっくりソ連圏になってしまうことです。できれば中国は、ソ連と対立したままでいてほしい。戦争になっても中国が負けないでほしい。そのために、何ならアメリカがテコ入れしてもいい。
冷戦を勝ち抜きソ連を打倒するのが、当時のアメリカの最大の目標です。そのためのコマとして中国を使う。「敵の敵は味方」なのです。