平成という時代で大きく変わったのが、テレビの立ち位置。平成前半まではテレビが娯楽の王様でしたが、2000年代に入ってインターネットとスマートフォンが一気に普及し、猛烈に進化を遂げたことで、一気にテレビ離れが進みました。今回は、テレビがまだまだ“王様”だった平成前半に終焉を迎えた長寿番組について、ライターの金子則男氏が振り返ります。
【東京フレンドパークII(TBS系):1994~2011年】
関口宏の司会のもと、ゲストが色々なゲームに挑戦する「フレンドパーク」。壁に貼り付く「ウォールクラッシュ」やホンジャマカと対戦する「ハイパーホッケー」が印象に残るアトラクションでしょう。家族で見るのにピッタリな番組は20年近く続き、関口宏は前身番組の『関口宏の東京フレンドパーク』(1992~1993年)、さらにその前の『クイズ100人に聞きました』(1979~1992年)と合わせると、合計30年以上も「TBS月曜19時の顔」を務めました。
【どっちの料理ショー(日本テレビ系):1997~2006年】
三宅裕司率いる「三宅チーム」と、関口宏率いる「関口チーム」が、それぞれ1つの料理を素材から料理法までこだわり抜いて作り、出演者がどちらを食べたいかを決める番組。「ローストビーフvs北京ダック」「天丼vs親子丼」「回鍋肉vs麻婆豆腐」「カレーライスvsラーメン」「しょうが焼きvsハンバーグ」など、数々の名勝負が繰り広げられました。
【電波少年シリーズ(日本テレビ系):1992~2003年】
平成のテレビ史を振り返る上で、決して避けることが出来ないこの番組。番組名はコロコロと変わりましたが、基本的には「芸人が無理な指令に挑戦する」というものでした。人気番組という枠を超えて社会現象になった「猿岩石ユーラシア横断ヒッチハイクの旅」、“坂本ちゃん”が東大を目指す「東大一直線」、懸賞品だけで生活する“なすび”の「懸賞生活」、さらに「松村邦洋vs渋谷のチーマー」「松本明子vsアラファト議長」など、伝説は数え切れません。