新たな技術が登場し人々の暮らしも激変、ファッションをはじめとした文化も花開いたのが、前回の東京五輪が開かれた1964年という時代だった。
五輪の盛り上がりに加えて、経済成長のエネルギーに満ち溢れていた1960年代の日本では“今日よりも良い明日”が来ることを信じて、国民の誰もが懸命に汗を流していた。当時のヒット曲からも、その世相が窺い知れる。
「1964年に流行った『明日があるさ』(1963年12月発売)のように、この時代は坂本九の人気が全盛期。シングルを出せば軒並みヒットしていました。私の印象に残っているのは、同年夏に発売の『サヨナラ東京』です。五輪閉会後をイメージしたような曲でした」(『1964』の著者でコラムニストの泉麻人氏)
今も幼児向けに歌われることの多い『幸せなら手をたたこう』も、坂本九が1964年に発売してヒットした曲だ。ちょっとぜいたくになった人々は、新しい酒を求めた。ニッカ「ハイニッカ」、サントリー「レッド」などの廉価ウイスキーがこの年に発売。
東京五輪の開会式当日に合わせて発売された「ワンカップ大関」は、今日まで販売が続くロングセラーとなった。辛党に合わせて甘党もちょっと高級に。森永「ハイクラウン」は、〈最高級品〉を売り文句に発売され大ヒットしたチョコレート菓子だ。近年も同社が全国4か所に展開するコンセプトショップなどでリニューアル版が販売されている。
一方、1964年の政界は大きな分岐点を迎えていた。「国民所得倍増計画」を掲げて戦後の高度経済成長を牽引した池田勇人首相が五輪閉幕後の11月、咽頭がんの治療に専念するため退陣。後継は現・安倍晋三首相の大叔父にあたる佐藤栄作首相で、その後8年近くの長期政権の間も好景気が続いた。この年は、日本が敗戦国から名実ともに脱するきっかけとなったと、政治評論家の屋山太郎氏が語る。
「1964年は五輪に加え、海外渡航が自由化され、日本がOECD(経済協力開発機構)に正式加盟したり、東京で初めてIMF・世銀総会が開催されたりと、日本が国際社会の一員として大きく飛躍した年でもありました」
2020年の東京五輪が閉幕した後の日本には、どんな変化が訪れるのか。
※週刊ポスト2020年2月21日号