最近の報道で安倍首相が9月の国連総会出席時にキューバ初訪問を検討している事がわかった。キューバが近年の外交史で大きく進展したのは昨年の米国との国交回復であろう。2015年7月、米オバマ政権は長年敵対的な関係にあったキューバとの国交正常化を発表した。これは米国、キューバ両国にとって1961年の国交断絶以降の大事件である。しかし、キューバのGDP(国内総生産)が米国のGDPの217分の1程度しかないという事実を考えると、このニュースはアメリカ以上に、キューバにとってより大きな意味があるイベントであろう。最近そんなキューバを訪れた。
キューバの支配権をめぐり起きた西米戦争の終焉となる1899年から1959年のキューバ革命までの間、政治的にも、経済的にもこの国は米国の支配下にあった。米国の影響力はかなりのもので1926年には米国企業がキューバの主要産業である砂糖産業の6割を所有していたという。
革命後、米国の資産が凍結され、冷戦時代が訪れ、世界の注目がキューバに集まったのは1962年のキューバ・ミサイル危機であろう。ソ連がキューバに核ミサイル基地の建設を計画している事が発覚、米国とソ連との間であやうく核戦争になりかけた時のことである。
ソビエト連邦の盟友であったキューバは、1991年のソビエトの崩壊の後もキューバ独自の社会主義体制を貫いてきた。その過程において、キューバは、米国との経済的な交わりはなく、他のカリブの国々と比べ経済的に大きく出遅れる事になる。当時キューバは、ラテンアメリカで最も栄えた国の一つであったというから皮肉なものだ。
今までの米国とキューバには国交はなかったものの、米国フロリダ州の南部に位置するキーウエストからハバナまではたったの168kmと、東京から静岡あたりの距離であり、正に近くて遠い国であった。国交のない両国間には定期便が飛んでいない為、日本からハバナへ訪れるには、カナダのトロント経由かメキシコのカンクーン経由が一般的である。