京都・桂川のほとりのプレハブ小屋で日本電産が産声を上げてから今年でちょうど50年。現会長の永守重信氏(78)ら4人でスタートした会社は、いまや売上高2兆円に迫る世界最大手のモーターメーカーとなった。その日本電産で社員の「大量退職」が起きている。彼らはなぜ辞めたのか──会社を去った者たちの肉声をジャーナリストの大清水友明氏がレポートする。【前後編の前編】
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日本電産はグループ全体の従業員は11万人を超えるが、本体の社員は2500人あまり。この規模の会社で昨年4月から12月末までに292人の社員が退職。とりわけ冬のボーナスが支給された昨年12月は77人が退社していたことが筆者の取材で分かった。
今年1月24日に行なわれた決算説明会では2023年3月期の連結純利益が前期比56%減の600億円と予測するなど業績にブレーキがかかるなか、足元では人材流出が止まらないのだ。元幹部社員のA氏も昨年、日本電産を退社した一人。
「ひと言で言うなら、時代にそぐわない経営理念について行けなくなったからです」
そう話すA氏は、国内の大手製造業から日本電産に転職した当時から違和感を覚えたと証言する。
「トップへの過剰な忖度が蔓延している企業だと感じました」
彼の言う「トップ」とは日本電産の創業者にして会長の永守氏のこと。入社にあたって永守氏から「売上高10兆円企業を目指そう」と声をかけられた。人を惹きつけるカリスマ性を持った人物に映ったが、困惑したのは入社後に永守氏と食事をした時のこと。
「永守さんの著書に、時間がもったいないから食事では早飯をせよと書いてあったので手早く済ませたのです。永守さんから『おまえ、早いな』と声をかけられましたが、問題は食後。秘書室の社員から『なぜ早く食べたのか』と言われ、『会長が弁当箱の蓋を開けてから蓋を開け、会長が箸を置いてから箸を置くように』と指導された。ここまで細かく言われるのかと驚きました」(A氏)
日本電産では永守氏の存在は絶対である。それを社内に徹底させる存在が秘書室だった。