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福厳寺の大愚元勝住職が説く、人の言葉に振り回されない生き方 「等身大の自分を諦めてみては」

“私らしさ”とはどういうことか?

「昨今いわれる『承認欲求』という言葉、仏教では『我慢』(我と慢)といいます。『我』とは、宇宙の中で自分がいちばん大切な存在だという自意識。キレる人たちは、『自分が大切にされていない』と感じ、我を爆発させているのです。

 そして『慢』は、他人と比較すること。私たちは、誰かを見ると瞬時に『自分より上』『同じ』『下』に分けるといわれます。そして、上の人にはへりくだり、下の人を見下すわけです。憧れの人が失敗するとなんだか安心するのは“あの人も私と同じ”という『慢』の働きです。これらは誰もが持つ本能で、消すことはできません。でも、我と慢の存在を自覚しておくことでコントロールはできます。

 仏教で、怒りは心の炎症と表現されますが、『妬み』もまた怒りの一種。特に妬みは不安感や劣等感など、いろいろな感情が組み合わさって自分を襲ってくるので、ものすごいダメージを心に負います。

 ですから、誰かを妬ましく思ったら『ああ、私の“慢”がいま怒っている』と客観的に捉えましょう。冷静になって、バカバカしく思えるようになればしめたものです。広告の煽り文句にある“あなただけ特別に”や“若見え”なども、我や慢を刺激している言葉。でも、本能を理解しておけば、むやみに振り回されずに済みそうです。

 最後に、自分らしさについて考えてみましょう。あなたらしさとは何?と聞かれたら、どう答えますか?

 自分らしさがあるとしたら、顔や体、歩き方は唯一無二で、まさに自分そのものです。でも、心はどうか? 結論から言うと、心に自分らしさなんてありません。

 小さい頃、いまの自分を想像できていましたか? ほとんどの人はできていないと思います。その時々の状況に合わせて人間は流転し、変わるもので、それが自然なことなんです。ですから、『私らしさとは○○です』と宣言してしまったら、せっかくの自分の未来を縛ることになる。自分で定義しなくても、まわりの人があなたを見て『こういう人だよね』と勝手に決めていますから(笑い)。

 お坊さんのことを『雲水』といいます。水は流れていく先々の地形に合わせて自在に形を変え、流れる先々を潤したり清めたりします。私自身はそれが憧れの姿で、そういう生き方をしたいと思っています。

 みなさんも、『こうあるべき』という思い込みを解き放ち、等身大の自分を諦めてみてはいかがでしょうか?」

【プロフィール】
大愚元勝さん/福厳寺住職。1973年、愛知県出身。福厳寺は540年の歴史を持つ愛知県小牧市の禅寺。僧侶、空手家、セラピスト、事業家、作家、講演家の6つの顔を持つ。僧名は「大バカ者(何にもとらわれない自由な境地に達した者)」の意。ほぼ毎日更新されるYouTubeチャンネルでの人生相談が話題となる。最新刊『自分という壁 自分の心に振り回されない29の方法』(アスコム)ほか著書多数。

取材・文/佐藤有栄 写真/本人提供

※女性セブン2023年4月13日号

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