布団置き場として使われていた納戸
一方、広さはFさんと同レベルだが、条件が遥かに悪かったというのはOさん(60代/男性)だ。山口県出身のOさんは約半世紀前、名門大学の法学部に現役で合格したが、親からは「大学に行ってもいいが、お金は出せない」と言われた。
「とりあえずは新聞配達店に住み込みで働きながら大学に通いました。大学3年まではそれで良かったのですが、司法試験を受けるにあたり、新聞配達をしていると勉強する時間がありません。
親に泣きつくと、住む場所を見つけてくれましたが、案内されたのは“雨戸が壊れて開かない3畳の部屋”でした。そこは遠い親戚の家で、下宿屋を営んでいたのですが、空きが無かったので、布団置き場として使っている納戸に押し込まれたのです。
親戚は何度も『本当にこんな場所でいいの?』『部屋が空いたらすぐ移りなさい』と言ってくれましたが、結局8か月、納戸で暮らしました。『あんな部屋で家賃はもらえない』と言われましたが、ご飯を出してもらっていたので、月5000円だけ払っていました。
荷物は着替えと本だけで、本当にシンプルな毎日でした。部屋では勉強する気にならないので、大学の図書館が開く時間に大学に行き、閉館まで勉強する生活。自然と“後が無い”という感覚が生まれ、これ以上ないぐらい勉強に集中できました。また住みたいか、と聞かれたら、さすがに躊躇しますが、裸電球の3畳の部屋で暮らした経験は良い思い出です」(Oさん)
Oさんは司法試験には合格出来なかったが、大手企業に入り、都内にしっかり一軒家を建てた。若い頃の苦労はしっかり肥やしになったようだ。
友人の厚意に甘えて“押入れ生活”
Kさん(30代/男性)は若かりし頃、「友人の家の押入れ」で1年近く暮らしたことがある。Kさんは当時バンドマンだったが、音楽にのめり込むほどバイトをする時間は減り、極貧の生活。練習後に転がり込んだバンドメンバーのアパートの押入れで一晩過ごしたところ、思いの外よく眠れたため、『明日からもここで寝ていい?』と尋ねると、まさかのOKが出たため、アパートを引き払って押入れで生活し始めた。
「その家は常にバンド仲間が出入りしている部屋で、図々しい申し出にも『別にいいよ』と即答。家賃はいらないと言うので、時々ご飯をおごったり、生活必需品を補充したり、色々な形で感謝の気持ちを伝えていました。
私の専有スペースは押入れですが、普段は押し入れから出て食事したり、テレビを見たり、楽器を弾いたりして生活していたので、感覚としては押し入れに住むというより、ずっと友人の家に遊びに行っている感じでしたね。
押入れでは足を伸ばしては寝ることはできませんが、冬は温かいですし、襖を閉めると何とも言えない安心感があり、騒音もカットされるので熟睡できました。スタンドを置けば本も読めますし、下の段は荷物置き場として、かなりの量の荷物が置けました。最大のネックは、何となく湿っぽいことでしょうか。布団は頻繁に干さないと臭いが大変なことになるので、こまめに干させてもらっていました。
そんな生活が成立したのは、部屋の主がとにかく器が大きい人間だったからです。冷蔵庫にあるもので勝手に料理を作ったり、本棚の本を読んだり、友達を呼んだりしても全く怒らず、帰宅したら私の友人と仲良く酒を飲んでいたこともありました。一緒に曲を作ったり、24時間連続で対戦ゲームをやったり、気ままな生活は最高でしたが、最後は向こうに彼女が出来たのをきっかけに、大人しく引き払いました」(Kさん)