長髪に全身白のスーツで、「ラーメン つけ麺 僕、イケメン」というギャグでブレークした狩野英孝(41才)。親に反対されても芸能人なる夢を貫いたからこそ、いまがある。放送作家として活躍する弟の孝彦さん(38才)が、兄・英孝について語る。
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私たちは2人兄弟で、宮城県栗原市という、都会というよりどちらかというと田舎の出身です。娯楽といえば、テレビを見るか、ゲームをするくらいでした。
兄はオリジナルの遊びを作るのが得意で、よく覚えているのが「カッパ」です。
向かい合って立ち、先に顔をなめられた方が負けというヘンな勝負です。戦い方としては、相撲でまず相手のまわしをとるように、相手の両腕をつかんで動けなくするわけですが、つかまれた方は絶対になめられたくないから必死で顔を背ける。傍から見れば、男子2人が必死で体をクネらせているのがキモかったかもしれませんが、ぼくらにしてみれば楽しくて、時間があると「カッパやろうぜ」と戦っていました。……でもなんで“カッパ”だったんでしょうね(笑い)。
兄は小学3年生の頃から「芸能人になる!」と断言していて、東京の劇団の通信教育講座を受講していたんです。父(勉さん2012年没・享年60)も「経験になるから」と当時は協力していたんですけど、いざ高校を出て俳優になるために上京するとなると両親ともに猛反対し始めました。
というのも、実家は1500年以上続く神社で、神主を務める父はとても厳格な人だったのです。父の反対があまりにも強かったので、兄は1週間近く家出をしたこともあります。そのときは、ぼくが駅まで送ったんですけどね(笑い)。
ぼくは、親に反対されても俳優になりたいと主張する兄をエライなと思いました。素直に「頑張れ」と応援していました。もともと面白い人でしたし、高校の頃はバンドを組んでギターもやっていて、とてもかっこよかったから、スターになると信じきっていました。兄の通っていた日本映画学校(現・日本映画大学)のある新百合ヶ丘駅(神奈川県川崎市)近くで行われた路上ライブを母と見に行ったときは、100人くらいが集まっていて、「コイツ、本当に福山雅治みたいになるぞ」って思いましたから。