古くは周防国の国府であり、交通の要衝として栄えた山口県防府市。瀬戸内海に面したこの地には、日本の国防を担う航空自衛隊の防府北基地が存在する。昨年9月、同基地の業務群司令として自衛官のキャリアを終えた朝長雅彦さん(56)。「トップガン」と称される元エリートパイロットは、現在、焼肉店の従業員として奮闘しつつ、念願だったバーの開店準備を進めている。朝長さんが、自身のキャリアを振り返った。【前後編の後編。前編を読む】
小中高校時代は野球部の主将を務め、地元の長崎東高校では甲子園出場を目標に白球を追った。転機は大学浪人時代にあったと朝長さんは振り返る。
「もともとパイロットに強い憧れはなく、高校卒業後は飲食店などでバイトをしながらふらふらしていたんです。そんな時、叔父から『今の生活のまま大学に行かなければ将来必ず苦労をする』と叱責され、予備校に通うように。そして、その予備校の先生から『自衛隊には高卒からパイロットを養成する制度(航空学生課程)があるから試しに受けてみないか』と言われたのが、航空自衛隊を志願したきっかけでした」
とはいえ、航空学生の倍率は当時で約30倍。「高卒文系の自分が狭き門を突破できるとは思ってもみなかった」という。その後、さまざまな訓練過程を経て26歳でF-15戦闘機の操縦資格を得た朝長さん。同期約70人中、F-15パイロットに採用されたのは当初わずか19人だった。
F-15戦闘機の主要任務は、日本領空の防空。他国軍用機や国籍不明機が領空侵犯する恐れがある際は、スクランブル発進(緊急離陸)し対応に当たる。朝長さんも、小松(石川県)、新田原(宮崎県)、百里(茨城県)など全国の基地で防空任務に就いてきた。
20代で結婚、2人の娘を授かった。充実した日々ではあったが、家を守る夫人には「辛い思いもさせた」と振り返る。
「戦闘機乗りは、一旦家を出ると無事に帰宅できる保証はありません。戦闘機パイロットの妻は皆、『職場からの電話は違う意味で緊張する』と言います。私の身近でも航空機の大事故で7名が亡くなっている。ついこの間まで一緒にご飯を食べていた仲間が“突然いなくなる”という経験もしています。家族は常に夫・父親の“死”を意識する生活とならざるを得ないので、相当の覚悟が必要だったと思います」