そうこうしているうちに、日露戦争が明治37(1904)年2月に勃発。戦争真っ最中の同年7月、政府は『葉煙草専売法』に替わり、製造から販売まで全て国が管理し、税金をきっちり徴収できる『煙草専売法』を制定した。慌てて制定したのは、「戦費を多く確保したい」ためだ。
「国が税をかけやすいたばこに目を付けたのです。ただ、脱税は防ぎたい。そこで新たに法律を作り、たばこは大蔵省(現財務省)専売局だけが製造できることとし、指定した小売人だけが販売可能になりました」
そして日露戦争終戦後、傷痍軍人が社会問題化。明治42(1909年)、陸軍から、傷痍軍人や戦死した軍人の遺族などの働き口としてたばこ店の営業許可を優遇して欲しいといった要請が専売局にあった。“戦争未亡人説”を裏付ける話だ。
一方で、問題も発生した。小売人数の激増である。
“うまい商売”で急増したたばこ店、販売競争激化も問題視
「煙草専売法が施行された明治37(1904)年7月中に19万3000を超えるたばこ小売人が誕生し、同年度末には23万2千人近くまで急増。明治40年度には35万8000人にまで増えていました」
もちろん専売法の施行前から中小規模の販売業者や製造業者は多数おり、その多くが小売人の指定を受けた。たばこ店は“うまい商売”だ。価格競争が起きない、技術商売ではない、仕入れが容易、回転が速い、許可さえあれば場所を選ばずに商売ができる……等、数々の恵まれた利点があった。
しかし、専売制にもかかわらず、小売人が激増したことで販売競争が激化した。こうした事態が問題視され、指定小売人制度の許可基準が見直された。具体的には各都市の人口密度をもとに、店間の距離を計測するなどしてたばこ店の過密を回避。この方式は今も継続されている。