人との縁まで相続できたことに感謝
もっとも「死後の手続き」は葬儀だけでは終わらない。その後は相続の手続きが待っており、特に遺言がなかった場合、きょうだい間で争いになることも珍しくない。だが、森繁家は遺言がなかったにもかかわらず、そうした争いを避けられた。生前に確固たる「親の教え」があったからだ。建さんが振り返る。
「終戦後、父が祖母と母、私たち子供3人とともに満州から引き揚げた際、国から1人につきおよそ1000円、家族6人で計6000円の支度金を手渡されたそうです。以降、『死ぬときは6000円持っていればいいんだ』が父の口癖。『終わったことに執着するな』という思想の持ち主だったゆえに、これといった遺言もありませんでした」
85才を過ぎてから“最期”を意識することも多くなり、「おれもそろそろ下り坂だから、後ろから突き落とすなよ」と冗談交じりに語っていたという森繁さんはヨット、無人島、会員権ならぬゴルフ場、リムジンなどスケールの大きな遺品を残したが、相続はスムーズだった。
「うちは長男が父より早く他界しており、嫁いだ長女と相談して私がすべて相続しました。といっても購入時に2億円だったヨットを3000万円で売却し、ゴルフ場や車はそのまま知人に引き継いだため、手元にはほとんど残りませんでした。父の教えでお金そのものに執着のない一家なので、トラブルはまったくなかった。
むしろ、葬儀に来てくださった加藤登紀子さんをはじめとして、父が亡くなったことがきっかけとなって生まれた人間関係もある。人との縁まで相続できたことに感謝しています」(建さん)
※女性セブン2023年11月16日号