ミステリアスな雰囲気とコケティッシュな声で、歌手や女優として活躍している高樹澪(63)。井上陽水作詞・作曲の『ダンスはうまく踊れない』(1982年)では約80万枚のセールスを記録するなど、芸能界の第一線を走り続けてきた彼女が、突然の病魔に襲われたのは1990年代後半のことだ。
「最初は目がピクピク動くところから始まりました。次第に自分の意思とは違う感じで顔が動くようになり、違和感を覚えたのですが、“健康に気を配り、病になっても、人知れず克服するのが女優の仕事”と思っていたので、誰にも相談できませんでした」(高樹・以下同)
次第に症状は悪化。人前に出られないほどにまでなってしまう。
「人に会うと、一瞬、ギョッとされたり、すれ違う人や見知らぬ人が『あの人、顔が勝手に動いて変じゃない?』などと、ひそひそ話をするのが聞こえてくるんです。それがストレスとなって、また余計に顔が動いてしまう。そんな日々が続いて、次第に『私はどんな悪いことをしたんだろう』『私が悪いからこうなったのかな』などと、自分を責めるようになりました」
プライベートでは舞台で共演したミュージシャンと1990年に結婚したが、折り合いが悪く、1999年に離婚。その後も仕事は続けていたが、離婚によるストレスで眠れない日が続き、寝ても覚めても顔が痙攣するようになったという。
「心療内科の先生からは『うつ病かもね』と言われ、睡眠導入剤を処方されました。だけど、仕事の現場でも顔が動いて迷惑をかけてしまうので、『もう続けられない!』と、自分の中で何かが壊れてしまい、2003年に事務所の社長に『もう辞めます』と伝え、携帯電話を解約。『女優・高樹澪』を完全に辞めることにしたんです」
芸能界と決別した2004年からは、心療内科に通いながら、さまざまなアルバイトを経験した。
「いま思えば、芸能界の仕事を辞めなくてもよかったと思いますが、そこまで精神状態が追い込まれていたんです。その後、2006年に友人のすすめで脳神経外科を受診したのですが、そこで初めて『片側顔面痙攣(へんそくがんめんけいれん)』と診断されたんです」
治すためには頭蓋骨を開けて、脳の血管を手術する必要があると医師から説明を受けたという。
「成功率は70%と聞いて、悩みに悩みました。そのときは人生のどん底だったし、自分は価値のない人間だと思って、生きる意味を見失っていましたから……」