長期化の様相を呈しているイスラエル・パレスチナ問題。経営コンサルタントの大前研一氏が、この問題の根源に何があるのかを解説する。
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パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスとイスラエル軍の戦闘が長期化している。
この問題で世界は二分した。一方は、最初にイスラエルへの越境攻撃でイスラエル国民約1400人を殺害し、240人超を人質として拉致・連行したハマスのテロを批判。もう一方は、それに対するイスラエルの報復攻撃を非難している。
だが、問題の根源は、イスラエルがパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区を中心にユダヤ人を「入植」させていることだ。
かつてパレスチナにはユダヤ人のイスラエル王国があったが、紀元前1世紀にローマ帝国領となり、ユダヤ人は離散した。その後、パレスチナはオスマン帝国の一部となり、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が共存していた。エルサレムにはイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地があり、それぞれの宗教上、極めて重要な地域だ。
第1次世界大戦でオスマン帝国と戦ったイギリスは、アラブ人に対し反オスマン帝国で蜂起する見返りとして独立国家の建設支持を約束する一方、ユダヤ人にも戦費調達のためにパレスチナでの居住地建設を約束し、さらにフランス、ロシアとの間で戦争終結後はパレスチナを含むオスマン帝国領を分割統治するという密約を結んだ。いわゆるイギリスの「三枚舌外交」である。
そして第2次世界大戦後の1947年、国連でパレスチナをユダヤ人とアラブ人の2国に分割する決議が採択され、1948年にイスラエルが建国を宣言。それを認めないアラブ諸国との間で4次にわたる中東戦争が勃発し、イスラエルが勝利してヨルダン川西岸地区と東エルサレム、ガザ地区などを軍事占領下に置いたため、約70万人のパレスチナ難民が発生した。イギリスがアラブ人とユダヤ人に相反する約束をしたことが、今日も続くパレスチナ紛争の原因なのである。
この問題を解決するため、1993年にイスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長との間で双方が承認し合い、パレスチナが国家を樹立してイスラエルとの「2国家共存」を目指す「オスロ合意」が成立。ラビン首相とペレス外相、アラファト議長がノーベル平和賞を受賞した。しかし、その後も紛争が拡大して和平交渉は停滞し、当事者3人も死去して事実上「オスロ合意」は破綻した。