16才でリリースしたデビュー曲『可愛いベイビー』が大ヒットし、一気に芸能界のスターダムにのし上がった中尾ミエ(77)。それから60年以上経ったいまでも、芸能界の最前線に立っている。そんな中尾に完全密着。トップを走り続けられる、その理由とは?【全3回の第2回。第1回から読む】
「お金を使うほど“取り戻さなきゃ”とパワーが出るの」
いくつになってもマルチな分野でバリバリ働ける秘訣は何だろうか。
「それはね、借金をすることかな」
そう中尾はいたずらっぽく言う。
子供の頃は裕福な家庭に生まれ、何不自由なく育ったが、父親の事業の失敗で一家で上京。一変した貧しい暮らしに中学生でも働ける場所として飛び込んだのが芸能界だった。売れっ子になって満足に眠る時間もなく働いていたときに胸に抱いていたのは、「家族が安心して手足を伸ばして眠れる家を建てたい」との一途な願いだった。
「実際、20才で念願の家を建てたけど手狭だったので、5年後に裏の土地を買って増築しました。その後、ハワイにも別荘を建てました」(中尾・以下同)
家や別荘を建てる資金は貯金では足りず、常に借金をした。「でも、それがよかったの」と振り返る。
「お金を借りたら、返さなくちゃいけないでしょ。だから仕事のえり好みをすることなくがむしゃらに働いて、返し終わったらまた借金しての繰り返しでした。お金を借りて家を建てることが働くパワーの源になったし、そうこうするうちに仕事が面白くなってきたの。借金の総額がいくらか? そんなの考えたこともないわよ」
借金までいかなくとも、自分のためにお金を使うことはとても大事。そう考える中尾は俳句や水彩画、水泳といった趣味や習い事にどんどん「投資」する。
「人生100年時代、老後の備えも大事だけど、先のことを心配して備えているだけじゃもったいない。お金は使わないと回らないし、どんなに貯めても一生安泰なんてあり得ないのよ。趣味や習い事にお金を使うのは自分への投資で、守りに入ったらそこで終わり。
私のモットーは“汗かけ、恥かけ、金かけて”。お金を使うほど“取り戻さなきゃ”とパワーが出るの。それに投資だと思えば、それを取り戻す術を自分で考えるでしょ」